「朝日輝く(校友会の歌)」のエピソード

「朝日輝く(校友会の歌)」は、昭和18年から昭和26年まで高松中学校、高松高校の校歌でした。
それまで、高松中学校の校歌は「橘中佐」の曲を借用して歌っていました。そのため、昭和16年頃から新しい校歌制定の運動が起こり、昭和18年に高松中学校創立50周年を記念して、高松中学校の新校歌として作曲されたものが現在の「朝日輝く(校友会の歌)」です。

塩井敏治元校長先生によれば、「私が昭和19年4月に高松中学校に入学した時から、現在の校友会の歌が高松中学校の校歌だった。戦後は、2番は削除され、昭和23年に高松中学校が高松高校になってからは、『わが中学の健児らよ』を『わが高高の健児らよ』に代えて歌った。」とのことです。

現在の高松高校の校歌は昭和26年12月に制定されましたが、その時にそれまでの高松高校の校歌がなぜ校友会の歌として残ったかは定かでありません。

ただ、その当時の高高新聞(昭和26年12月3日付)には次のような記載があります。
「校歌、校友会の歌は、去年の4月頃から制定委員会を定めて本格的な制定運動に乗り出したが、適当な作品が集まらず、結局、校歌の作詞は河西新太郎氏に、作曲は芥川也寸志氏に依頼することになった。しかし、校友会の歌は現在なお選考中で、今後どしどし諸君の投稿を希望している。」
すなわち、新校歌を制定する際に、同時に「校友会の歌」も募集したのですが、適当な歌が集まらなかったようです。
このような事情から、それまでの高高校歌を「校友会の歌」として採用したのだろうと思われます。

その後の昭和27年11月25日付高高新聞に、「新しい校歌が歌われず、代わって『朝日輝く』が愛唱され始めてきた」と嘆く記事があり、また、昭和29年11月20日付高高新聞では、「文化祭においてブラバン同好会と音楽部が『校友会の歌』を演奏する予定」とあります。
したがって、遅くとも昭和29年頃には「朝日輝く」が校友会の歌として正式に採用されていたことは間違いないようです。