高松高等女学校 校歌制定時のエピソード

高松高女の校歌は大正3年9月14日に制定されました。
作詞は国語の小原虎一先生、作曲は音楽の内藤蝶先生であり、脇須美氏がそのときの様子を次のように述べられています。

校歌のことなど

大正5年卒 脇 須美(『玉翠 創立70周年記念特集号』より)

今は昔の高松高女の校歌、あの歌詞にふくまれた、あの時代、あのメロディがかもす、荘重で又甘い雰囲気。それでもって次々と、何千人の魂を魅了したことでしよう。

「見れども飽かぬ玉藻の浦」ではじまるこの校歌は、私共の在学中に出来ました。
作詞は当時の国語の小原虎一先生、作曲は音楽の内藤蝶子先生、発表された時は、香川師範で同じく音楽の先生の夫君も見えて、心からなる感激に、頬を紅潮させて、初めて合唱しました。

つい先頃私共のクラス会で出かけた帰途、船の上で、自然におこった校歌の合唱。「おとめ我れ」と云うところで、皆笑い出しましたが、多分に感傷的にもなりました。