<「美しいものは美しい」>
美術愛好会をつくろうという話がでて、早や一年半がたった。
その間、発起人の久保さん(27年卒)のところには、あちこちから、いつできるのかという催促があり、ついには平成7年卒の太田さんからメールで参加したいという希望が出され、久保さんもとうとう重い腰を上げることになった。

そして第1回目活動は、高中50回卒の中村文俊さんの自宅で絵画を鑑賞することに。
題して、
「美しいものは美しい」を鑑賞する集い
である。


<中村さんのこと>
中村さんは有名なコレクターであり、その収集点数は3000点以上にのぼる。
本業は極東産業の会長であるが、1981年、肝硬変で入院したのを機に本格的に美術品の収集を始めた。
右の写真は、ご自宅に掛けている絵について説明する中村さん(写真右が中村さん)。

以前は、収集した作品を自宅の2階の一室に収蔵していたが、あまりに多すぎて床が抜け落ちそうになり、現在は会社の倉庫に置いているとのこと。

なお、中村さんは、江戸末期の医者で蘭学者の緒方洪庵のひ孫にあたる。

<中村さんの自宅にて>
平成10年4月11日午後2時西武池袋線東久留米駅集合ということであり、私は2時ちょうどに着いた。
どうせ「さぬき時間」で、まだ半分も来ていないだろうと思いながら駅に着くと、案の定、久保さん(27年卒)、岡崎さん(37年卒)、中村さんしかいない。

余裕の表情で、「他の人はどうしたんですか。」と聞いたら、「おまえが最後や」と言われた。みなさん早くから来て、中村さんが自宅までピストンで送ったそうである。
気合いが入っているなあ。

47年卒の日本画家二川さんも来ている。
彼は、前日まで風邪で寝込んでいたそうである。しかし、中村さんの話を是非聞きたいというので、点滴してまで駆けつけたのである。

 えらい!

駅から車で2,3分のところに中村さんの自宅があり、玄関に入ると、窓はステンドグラス、壁には絵画、廊下にはいろんな置物が置かれていて、我々を出迎えてくれた。

応接間に案内されると、すでにみなさん来ており、総勢10人。
応接間の壁には、中村さんが二川さんに敬意を表して、二川さんの作品(日本画)をかけている。
この部屋は、普段は油絵しかかけていないそうだ。

みんな揃ったところで、二川さんの絵から説明が始まった。

二川さんの右の奥入瀬の絵について、「奥入瀬の絵は紅葉を描いた絵が多いが、この絵は緑だけを使って丁寧に表現している。これは難しいことであり、二川さんの境地を示している。とても静謐な感じがする。」との評であった。

なるほど。
いわれてみれば、緑一色で表現するということは大変であり、そのことがアピールポイントになっているんだ。

中村さんは、絵はその人の眼のレベルでしか理解できないとおっしゃっていた。
私は、以前、二川さんの右の絵を展覧会で観たが、緑一色で描くことの難しさは理解できなかったから、眼のレベルもその程度ということだ。

ただ、中村さんは眼のレベルは変わっていくともおっしゃった。
そして、眼のレベルを上げるには、やはりいい絵をたくさん見ることだそうだ。

二川さんに対して、永野さんから質問がでる。

「二川さんが描いたこの奥入瀬の風景は、実際の風景をそのまま描いたのですか。」
二川さんは、「実際の風景そのままではなく、ある程度創作がある。」と答えていた。
中村さんも、素人は、そのとおり描かないといけないと思いがちであるが、そんなことはないとおっしゃっていた。

絵というのは、画家のイメージの表現なのだから、目に写ったとおり描く必要はないということなのだろう。

次に、三岸節子の絵の説明をしていただく。

三岸節子(1925~)は、戦前から名をなし、女流画家としての先端を切り開いた画家である。
三岸節子は赤い花に特徴があり、同じ三岸節子の絵でも、赤い花の絵は他の絵よりも値段が高いとのこと。

また、この赤の絵の具はフランス製の絵の具であり、日本の絵の具の10倍位する。しかも、フランスで描き、フランスの空気で乾かせば、素晴らしい色合いになるといわれているそうである。

本当にそうかどうかはわからない。ただ、フランスの絵の具を使いフランスの空気で乾かしたというだけで絵の値段が違ってくるのだそうだ。

ふぅーん。おもしろいなあ。
われわれ素人は、絵の値段は絵の良さだけで決まる気がするが、案外違うところで値段が決まるんだなあ。


右の絵は中川一政。
中川一政は、絵だけでなく、日本画、書、陶芸まで制作し、昭和50年文化勲章を受章している。

この絵は3つのタブーを犯しているそうである。
1つ目は、ナイフが描かれていること。
ナイフを描いていると買う人が嫌がり、売れにくいそうである。
2つ目は、花が、こちら側でなく、向こうを向いていること。
3つ目は、テーブルの上端が右下りになっていること。通常は右上がりに書くのだそうだ。その方が、バランスがよいからである。

美の感性は人によって違う。しかも価値観はより多様化している。
ところが、コレクターには、例えば「抽象画でなければ絵でない」などといって、価値観の多様化を認めない人が多いのだそうだ。
しかし、中村さんは
「美しいものは美しい」
とおっしゃる。
だから、無名の画家でも気に入れば買うのだそうだ。

ところで、絵が売れた場合、そのうち画商が4割とり(これはいろいろと変わるが)、画材代が何割かはかかり、取材費なども入れると、純粋に画家に残るお金はわずかなのだそうだ。(これは二川さんの話)
だから、知らない人は画家から直接買った方が得のように思いがちであるが、それは間違いであるとのこと。

画商を通さず売る画家は、まったく評価されないし、画商が買わない絵は客観的にも評価に値しないのだそうだ。
画家としても、画商を通さないと売れないのだから、直接顧客に売って画商の信頼をなくすようなことはできないだろう。

そういえば、以前二川さんに、同級生なんだから画商を通さずその分安く売ってくれといったら、「う~ん」といって、そのまま黙ってしまったなあ。

<オークションの話>
中村さんはコレクターだから、オークションの話もしていただいた。

オークションの方法には、いくつかの方法があるそうである。

まず、カタログに標準の値段を書いている方式。
この場合、「1号100万円」といわれている人であれば、その半分位の値段がついているそうである。つまり、「1号100万円」というのは公示価格で、その半分が実勢価格ということになろうか。
しかし、最近では絵が売れないため、実際に売れる価格は、カタログに記載いてある標準価格をも下回ることが多いそうである。

また、最低価格を記載して、それ以上の価格でないと入札できないオークションもある。

さらに、「成り行き」といって、最低価格も記載していない場合もある。
但し、最低価格はないといっても、5000円以上でないとだめとのこと。
以前は最低価格は100円だったそうだ。
そうすると、全ての「成り行き」に100円を入れる人もいて、いくつかは落とせることができる。それを1万円ぐらいで売るのである。
それで最低5000円になったそうである。

オークションの商品は絵がほとんどであるか、指輪などの装身具、バッグなどがでることがあり、市場で買うよりはるかに安いとのことである。

我々もオークションに参加できますかと聞いたら、問題ないとのこと。大勢つめかけると迷惑でないかとの質問にも、大丈夫との心強い返答。

即座に、美術愛好会の第2回活動はオークション参加に決定。

第2回活動は6月ころを予定。オークションに参加したい人は、こちらまでご連絡を。

応接間で一通りお話を伺った後、各部屋に飾った絵をみせていただく。
壁に掛ける絵はときどき換えるそうである。
わが家にも安い絵を飾っているが、それは掛かったまま。
うらやましい限りである。

各部屋の説明の後、ワインと奥さんの手料理のおつまみをいただく。
絵に囲まれて飲むワインはまた格別である。

気分も和んだところで、近所の平林寺に案内していただく。
ここは武蔵野の面影が残っており、散策にはうってつけである。ところが、中村さんの家で盛り上がったため時間が遅くなり、すでに閉門していた。
仕方なく、予約を入れていた割烹「そめ乃」に行くことに。

<「そめ乃」で感想会>
この店は中村さん御用達の店であり、とてもおいしい。
昼間は「美しいものは美しい」を鑑賞し、目と心を満足させ、夜は「美味しいものは美味しい」を賞味して、舌と胃袋を満足させる会である。

 なんという贅沢さ。

桜豆腐と煮物がとくにおしいかった。 もちろん、都心にも同じくらいの味を出す店はあるが、決定的な差は値段である。
酒をさんざん飲んで、美味しい食事をして、5000円であった。(中村さんが2万円近く出してくれたけど。)

<自己紹介>
食事をしながら自己紹介が始まる。

まず、34年卒の鴨田昭代さん。
鴨田さんが、陶芸の会を同好会として発足できないかと言ったのがこの会の始まりであり、美術愛好会の言い出しっぺ。

次に、27年卒の永野精子さん。
永野さんも美術愛好会発起人の1人。
先日、玉翠会のホームページの掲示板に投稿したが、書き込みを失敗したとかで、書き込みを消してくれと私のところまで電話がかかってきた。
「急ぐときはやっぱり電話よ」とのこと。

さすがである。

田中博子さんは26年卒。
中村さんの妹の西村さんと同級生。その縁で今日参加したとのこと。
ジャズベーシストの藤原清登さん(47年卒)のお母さんと高高の同級生といっていた。
すると、26年卒、27年卒の人たちが、「え、それじゃ誰々は知っている?」とか、「あの人は今、何々をしている。」とか言って盛り上がっていたが、誰のことだかまったく分からない。

その次は、中村さんの妹の西村さん。高高26年卒である。
兄は(中村さんの事)親しくなればなるほど口が悪くなるので、あまり親しくならない方がいいですよとおっしゃっていた。

次が、わたくし、47年卒土居範行。
もともと絵は苦手で、美術の時間が大嫌いだった。しかし、絵が下手でも、絵を見ることはできることが分かり、最近は安い絵を買って家に飾っている。

二川和之さんも47年卒。
日本画家。すでに実力派であり、描く絵は結構高い。
今日はかぜにも関わらず、点滴をうって出席。

その次は、頼則絢太さん。34年卒。
頼則さんは、藤原さんのジャズのコンサートにも必ず行くなど、音楽、美術に非常に関心が高い。

久保さんは27年卒。今日の企画の主催者である。
27年卒はまとまりがよく、何年か前、総勢30名で還暦記念の旅行をしたそうである。そのとき、全員が赤いちゃんちゃんこを着ていき、添乗員が大笑いしたという話をしていた。

次が37年卒の岡崎洋さん。
久保さんとコンビを組んで、神田会を主宰している。

その次は、なんと平成7年卒の太田馨子さん。
久保さんと何歳離れているんだろ。
大学で芸術をプロデュースするコースを専攻しているそうである。美術、声楽、琴、ピアノ、バイオリン、ハープなんでもござれである(そのうち、いくつかは言われなかったかもしれない)。お姉さんも、演劇をやっているそうで、芸術姉妹である。

最後の神崎さんは、岡崎さんと同級生の奥さん。
5年前にご主人が亡くなられたそうであり、少しずつ外に出るようにしているとのこと。
住まいが、中村さんと同じ東久留米だそうだ。

自己紹介が一通り終わった後は、美味しい料理を食べながら、高中50回卒から平成7年卒まで、世代を越えた話に盛り上がった。

一番盛り上がったのは郷土のさぬき弁の話。

「まがる」というのは「邪魔になる」という意味のさぬき弁だが(先日、玉翠会総会の幹事会で、三崎屋さん(34年卒)が、「総会の受付でプログラム以外にいろんなものをくれるけど、まがっていかん。」と言っていた。)、その語源は、まっすぐ歩いているとき、そこに物が置いてあると、そこを避けるために曲がらなければいけないことから、邪魔になることを「まがる」というようになったと中村さんが解説してくれた。

なるほど。勉強になるなあ。

と思っていたら、中村さん、永野さん、田中さんたちから、「すぼきが張る」とか「おくもじ」「まんば」とかいう言葉が飛び出し、何のことかさっぱり分からんかった。

うーん。まったく知らない言葉の場合は、あまり勉強にならんなあ。

ちなみに、「すぼきが張る」とは筋肉が張ったことであり、「おくもじ」とは高菜漬けみたいに細かく刻んだ物で、「まんば」とは野菜の種類の一つである。
といったと思う。酒を飲んでいたので、よく覚えていない。間違っていればご連絡下さい。

他にもいろんな言葉がでてきたような気がするが、知らない言葉なので全然覚えられなかった。

<池袋・アイビーに行く>
東久留米から西武池袋線に乗って、着いたところは池袋。
当然、渡辺さん(31年卒)が経営する「アイビー」に行くことに。
参加者は、久保さん、岡崎さん、太田さん、土居の4人。

偶然であるが、久保さんは27年卒、岡崎さんは37年卒、土居は47年卒、太田さんは平成7年卒。そこで「7の会」をつくることに決定。

当初は電車があるうちに帰るつもりだったけど、久保さんが筆跡占いの話をしてくれて、その話を聞いているうちに終電を逃してしまい、午前1時ころようやく解散したのでした。