岡山玉翠会会長
太田武夫(昭和32年卒)
東京玉翠会第27回総会の開催を心よりお慶び申し上げます。
東京における晩翠会、高中会、高高会がそれぞれの総会の歴史を経て、本会として開かれるようになって既に27回目を迎えられ、毎年1000人以上の同窓生が集まる、公立高校としては全国的にも稀な大規模な同窓会が聞かれていることは、地方に住む同窓生としても喜ばしく、また誇らしいことであります。
昨年来、世界的に社会・経済的不安を感じることの多い現今、今回のテーマ『原点~あの目・あの時・あの場所で~』が示す、参加者それぞれの『原点』にふと立ち戻って、まだまだ「がんばらなくっちゃ」という気持ちを爽やかに高揚できればと心より祈っております。
楽しかったにしろ、悲しかったにしろ、また日頃の生活で思い出していることでなくても、それらは私達の今の「生き様」にそっと根を張っているものだと思うからです。
私の地元岡山王翠会は約350人の会員で組織され、毎年秋に総会を開催しております。
出席者は50人くらいの小規模な会ですが、多忙な時季にもかかわらず、本部会長や教員代表、それに支部各員の方々にご出席頂いており、会員一同感謝致しております。真鍋武紀知事にも皆勤でご出席頂いております。また、毎年のように近県の同窓生にも顔を出して頂いたり、二次会には学年を越えてカラオケヘ出かけるといったことで、「at home」な雰囲気の会です。
今年は31回目を迎えて10月18日に総会を開催する予定にしておりますので、この地の皆様にもお気軽にご出席頂けたらと思います。
私は32年卒業で、終戦の年が小学1年生という、厳しい時期を記憶に残している最後の世代です。
県女だった旧校舎の屋上から見る当時の市街地は遠くまで見渡すことが出来、今の都会然とした高松の姿はありませんでした。世相も、映画『ALWAYS・三丁目の夕日』に近いものでした。
いつも10円の素うどんかパンで旺盛な食欲をなんとか満たせて、喫茶店に行くと云うことはまず無く、娯楽らしいものもありませんでした。
それでも人々の触れ合いは、何かよそよそしく乾き気味な現今より、もっとほのぼのとしたものだったと思えるのは、決して郷愁故だけではないと思えます。
入学最初のイペントは応援の練習で、夏の大会は球場がすぐ横ですから皆で参加して声をからし、運動会には仮装行列、その後のキャンプファイア。学祭はクラブ活動の成果発表やクラス別の演劇にスクエア・ダンス(スケダン)、そして修学旅行は夜行列車で高知の桂浜という簡単なものでした。
イペントそのものはあまり変わらないかも知れませんが、日常生活や人間関係そのものが、今の私達の周りにあるような学生関連のファッションや、電化製品(ラジオを除いて)で装いされたものではなく、言葉での会話(おしゃべり)中心のものだったので、その分交友関係の記憶が彩り強く残っているような気がします。
現在では、私達も、近年の利器である電子メールや携帯を活用して連絡を取りあい、旧交を温めておりますが、字句や声の向こうにはいつも『あの時』の級友達がいて、いつまでも自分の年齢を忘れさせてくれるのです。
久しぶりの御地での総会に出席させて頂くのを楽しみにしながら、ご盛会と貴会益々のご発展を心よりお祈りいたします。