菊池 寛(きくち かん)
高松中学 明治41年卒
(Last updated:2014)

プロフィール

(Wikipediaより要約)

1888年 高松に生まれる。 1908年(M41)、高松中学を首席で卒業。
家庭の経済的事情により、学費免除の東京高等師範学校に進んだが、授業をサボり除籍処分。
地元の素封家から頭脳を見込まれて経済支援を受け、明治大学法学部に入学したものの、一高入学を志して中退。ただ、徴兵逃れのため早稲田大学政治経済学部に籍のみ置く。

1910年、早稲田大学を中退して第一高等学校入学。芥川龍之介と出会う。
卒業直前に友人・佐野文夫(後年の日本共産党幹部)の窃盗の罪を被り退学。
その後、友人・成瀬正一の実家から援助を受けて京都帝国大学文学部英文学科に入学。
1916年に京大卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説家となる。

1917年、「父帰る」発表
1920年、毎日新聞に「真珠夫人」連載。
1923年に私費で雑誌『文藝春秋』を創刊。
1935年、芥川龍之介、直木三十五の業績を記念して、芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設。

麻雀や競馬に熱中していたことでも知られ、麻雀では日本麻雀聯盟初代総裁を務める。