「高高神田会」って何や?、と聞かれてもよく分からない。
 そもそも、我々の寄合が「高高神田会」と言う、そんな立派な名前の会なのかどうかも、よくは分からない。誰も、会の名前を正式に決めようなんてことは言ったことがないし、決めてもいない。
 会の名前だって、通称では「高高神田会」とは言ってるようだが人によっては、「タカコウ」とは読まずに、「たかだか神田かい?」なんて読む人もいる程だ。
 会には、会長もいないし、役員はといえば、49年卒の岩崎君が経理を買ってでてくれているので、唯一の役員は彼一人である。
 私はと言えば、先輩の命令で唯ひたすら連絡係をやらされている欠第。

 何だ。では、なんにも実態がないのかと言われたら、いや、昨年の11月と今年の4月には会合をして、大変盛り上がったんでえー、と反論がしたくなり、名前だって、一応は通称ながら「東京神田会」と言うことになってるぞ、と言いたくもなる。
 そこで、そもそも、どうしてこんな訳の分からないようにいい加減な会が始まったか、どの程度イイ加減な会なのかを、お伝えしましょう。


 昨年夏、私は偶々仕事場が近所である久保先輩(27年卒)にお昼をご馳走になった。
 後輩というのは、唯、後輩と言うだけで、先輩からタダで鮨が御馳走になれると悦に入り、その嬉しさで話も弾んだ。
 弾んだ話は、この神田界隈には母校を同じくする者が多数おるんと違う(ちやう)か、という話になった。
 (本当のことを言うと、話の中心は、男性の精子の数についての久保先輩のご高説を拝聴したのであるが、このご高説は本稿の目的から外れるので割愛する)。

 更に話は、近所で働いている同じ母校の仲間で飲み食いをする会というのは面白そうだという話になった。
 私もご馳走とビールのせいで、調子に乗って相槌をうっていたところ、突然、じや、そういう会を作ろう、と先輩が言われる。私もニコニコとして更に相槌。
 ところがである、突然、先輩日く、「で、お前が手配しろ」。

 何と言っても先輩の命令であり、寿司を御馳走になっている手前もある。私としては、唯、はい、分かりましたと答える他ない。
 このようにして、タダで鮨をご馳走になった為に、高高神田会が発足するということになったのです。


 会のメンバーは基本的には神田界隈に勤務している者。分かっている人は当然メンバ一にし、その他は東京玉翠会総会の名刺広告から見つけて、案内を出した。
 それに、会を創設する際に、東京玉翠会の会合があったので、そこで会の設立を言ったところ、神田ではないが近所と言えぱ近所やし、オモロそうやから参加させていたあー、と申入れがあった者については、まあエエカということで、神田界隈の近くの者も参加することになった。
 47年卒の神田君などは神田に勤務している訳ではないが、名前が神田なのだから入会資格があるはずや、という訳の分からない理由で参加することになった。

 そして、第1回東京神田会の寄合が昨年11月17日、神田小川町の天ぷら屋「小倉屋」で行われたのであります。

 会は、まず、久保先輩の会の創立記念講演として「太陽と緑と命の不確かだが不思議な関係」と題する講演があった。
 講演と言っても、先輩と後輩ばかりなので、天ぶらを食いながら、酒を飲みながら、話を聞くという、リラックスした雰囲気での講演で、途中で気付けば幾らでも質問をしても良いし、議論をしても良いというスタイルである。
 世上の講演会のように、講演者が一方的に話して、聞く方は黙って聞くということでなく、分からないところは直ちに質問し、議論をし、場合によっては脱線するもヨシという、形でなく質を求める会合のスタイルである。いわば、質実剛健スタイルとでもいうべき会合である。

 と大上段に言う程のこともないが、言ってしまえば、「呑み食いしながら高松弁でしゃべる近所の寄合」と言ったところでもある。

 そして今年の丙子年春は卯月十余り二日
 花は春を告げるべく 繚乱 神田淡路町の小路を入った料亭の二階奥座敷
 高高神田会2度目の寄合が行われた。
 この時は、吉田先輩から「オビ(さかな)」の話をして戴いた。

 第1回目の久保先輩の「太陽黒点」の話も、吉田先輩のさかなの話も、日頃聞いたことのない実に有意義な話で、その場で質問もできるので、みんな主体的に学ぶことができる。
 学校の勉強と、講演会とは全く違った社会勉強ができると、評価する者あれば、高高の奴は勉強が好きやのお、と言いながら酌を傾ける者もいるといった具合。

 第1回目の寄合には16名が参加。
 一番の若手は昭和51年卒の松永君、年長は27年卒の5人の先輩(久保、佐藤、林、宮本、吉田の各先輩)で、2回目の会合では15名が出席。若手は、61年卒の伊達君、ついで56年卒の三野君で、27年卒の先輩とは30年前後の隔たりがある。高高の四半世紀の歴史が凝縮した会合でもあった。

 2回目の会合では、佐藤先輩が1回目で約束されたお土産を用意してくれた。さかなの講演に因んで最後の余興で魚編の漢宇テストをした。そこで25個もの漢宇を書いた入江漢字博士(42年卒)は、景品にお土産を更に貰って帰宅した(ハズである)。

 会は、講演の後は雑談であるが、これがまた、小学校、中学校はどこだとか、住まいは、近所にタバコヤがあって、そのタバコ屋の娘がどうのとかローカルの話、共通する友人の発見とかで、田舎者同志の盛り上がりがあったりして、この雑談も結構楽しめる。
 そんな会合を「寄合」として持つのが我々の会である。

 我々の一つの夢は、みんなで神田明神の祭りに高高神田会のハッピを着て参加することである。
 第2回の会合の終わりに、その為に、その資金作りをしようということになった。
 資金作りは、2回の会合の会費余剰金を利用して、久保先輩が、同級生で競馬評論家の平尾先輩の意見を聞いて、馬券を購入することになった。
 しかしである。
 やはり、このようなことが旨くいくはずがない。見事に、会の余剰金は、泡と消え、今年の神田祭り参加は夢のままとなった。次回の会合には、このプロジェクトの失敗について大いに議論が沸騰するだろう。

 このようなことで、わが会は、東京玉翠会のメンバーで、好奇心のある(物好きなと言うべきか)、神田界隈に勒務する者(神田に歩いて来れる者や神田に関係のある者を合む)が年に数回、飲み食いに寄り合う会であります。

 ということなので、神田に勤務する物好きな同窓諸氏、神田に歩いていけるので参加したいという好奇心溢れる同窓の皆さん(健脚ならば千葉県からだって参加できなくもない)、ご一報下されば、次回のご案内を差し上げます。

 尚、念の為に、申し上げますと、高高神田会というのは、高中とか県女を外すという意図は全くありません。玉翠神田会というのは少し名前が重いのと、高高神田会は「たかだか神田かい」と読めるのが面白いのでこんな通称でやっております。
 高中或いは県女の方で、俺も或いはウチも参加するでえ一と言われる先輩の参加は大歓迎です。よろしくお願いします。

文責 37年卒  岡崎 洋 (CXL02735@niftyserve.or.jp)