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「恐るべき讃岐うどんを食う会」 ![]() 平成10年5月28日の夕刻 江戸のうどん通が一堂に会した。
総勢40名。 当日の午後5時40分、開会を半刻後に控えて、久保先輩(27卒)から電話があった。もめてるので、先に会場に行くとのことであった。 今回の会合は、高島監督(48年卒)が製作中の映画「恐るべき讃岐うどん」の話を聞きながら、讃岐うどん作りの久保名人(29年卒)からうどんの話を聞いて、且つ、名人の手打ちうどんを食おうという趣向である。 その為に、久保先輩(こちらは27年卒で、29年卒の久保先輩の兄である、以下では「久保兄先輩」「久保弟先輩」と区別する)は、事前に料亭に話をつけ、当日の2日前には、ワインの巨匠伊達久美ちゃんと一緒に3人で下見まで行って、我々も主人に会って、当日は久保弟先輩の準備したうどんを厨房で茹でさせて貰えることや、当日フランス製のフォアグラ、ワインを持ち込むことの了解を得た。 こういうことで安心していたのだが、何かモメてるという。 久保兄先輩に話を聞くと「俺の弟(久保弟先輩のこと)が、作務衣姿で店に赴き、うどん作りを厨房でやろうとしたから、女将が、びっくりして、得体の知れないおっさんに厨房を使わせる訳にはいかないと言うとるらしいよ」とのことであった。
久保兄先輩は、「俺が今から行って話をつけてくるわ」ということであったので、安心してお願いした。 定刻前に会場に行ってみると、話を付けた久保兄弟先輩といつものように定刻前に出席されている宮本・吉田の両先輩(27年卒)がにこやかに談笑中であった。 さすが、久保兄先輩、簡単に話をつけたらしい。
久保兄先輩は、27年卒だから、もう65歳であるが、黒髪ふさふさとして、久保式健康道場と称して全国講演をしている。 弟先輩が鉢巻きを締めていることが話題になって、弟先輩が、うどんに髪の毛が入ると失礼になるので鉢巻きを締めていると言うと、兄の方では、「お前、そんなに落ちる程、毛がないやないか」と言って冷やかす。 久保弟先輩は、既に「讃岐うどん」についてのレジメを用意されており、そこに、うどんは「ハレ」用の食べ物であるのに比して、そばなどは「ケ(日常生活)」用の食べ物でしかない」という記載があった。
久保兄は、これを見て、「お前には生活がないのお」と言う。 まあ、仲の良いご兄弟である。
こんな調子で雑談をしている内に、定刻6時24分になった。 そこで、まずは「乾杯の稽古」をして暫定的に開始する。 中村先輩からお言葉がある。
何たって、中村先輩は、高中の50回卒というから昭和20年卒なのだ。 久保兄先輩の発言を借りれば、我々のご先祖様みたいなものである。
中村先輩は、有名な美術コレクターで、玉翠会の美術愛好会の主でもある。
中村先輩、現在は会社の会長職で月水金のみ出勤で、本日木曜日は休みで、本来は家庭で休息するはずであるが、わが会出席のために東久留米の自宅から、神田まで来られた。
「高々神田会」第7回寄り合いの案内をいただき、喜びと緊張に、ふんどし、もとい、下帯を締め直して、ここに出席しています。
幼少の頃から、私にとっての最大のご馳走である「手打ちうどん」は、個人の人生史の中で、趣味から、この美味とそれを期待して手打ちする没我の境地に誘ったのです。
私の弟子と称する人も50人を超えています。
この恐ろしさから逃れるため、「恐るべき数々」を思いつくまま述べておきます。
『かたい腰のあるうどんの生産地は、女権が確立されている。』
この学説は、全国向けの放送や、各地のうどん作りの指導などでも、誰からも反論がありません。
『元弟子のタイの女性』
「さぬき手打ちうどん」は手順を抜くとうまく出来ません。果たしてバンコクへ輸出された「さぬきうどん」は根付くのでしょうか。
『トムヤンクンうどん』
そこで私は提案しました。
″恐るべしさぬきうどん″です。
この異国の、あるいは独特の個性を持ったスープを、″さぬきうどん″は、やさしく、しかし、しなやかに包含・・・・いや抱擁して、得も言われぬ味覚にアウフ・ヘーベンしたのです。
『さぬきうどんの厳しさ』
うどん粉に水を加え、麺を練ります。
塩の量も関係します。
最近、私は″手打ちうどん″に使う″水″に凝っています。
塩は「伯多]です。
さて水です。
この水は出羽三山の水をイオン化したもので、分子活動が水道水の300倍といわれています。
『腰・こし、コシ』
腰を強めるため、私は足で踏んでグルテン化を促して、いい気分でした。
手打ちうどんは麺の太さ、長さが自在に調節できます。
『文化論ーうどん対そば』
中国で発達した饂飩(小麦粉の麺)は、シルクロードで、西はヨーロッパ(イタリアなど)へ伝えられて、スパゲッティ、マカロニとなりました。
日本ではやがて平安時代頃、「うどん」は宮廷料理として「ハレ」お祭り、祝賀の料理となり、やがて、中世に麺切り技術が進んで庶民の食生活の中に定着して行ったのです。
これに対して「そば」は、江戸時代の飢饉で餓死者が出た時、食生活を満たすため「救荒食物」として庶民の中に広がりました。
ところが、今日、東京を中心に、"そば"には文化があるという妄言が出てきました。
文学などを較べるとうどんは登場する例は少ないのです。その結果、"うどん"は、やや"そば"の後塵を拝しています。
『恐るべき讃岐うどんより恐るべきもの−おまけ』
このように書くと、久保先輩の話を皆が真面目に静かに聞いていたように誤解されるかも知れない。 始めて参加する久保弟先輩は、全国講演の聴衆と同じだと思って、いっぱい話そうと考えたかもしれないが、そうはどっこい問屋が卸さないし、小売も売れない。
多分、兄貴先輩から、神田会は喧しいと少しは覚悟をされていたはずだが、これほど喧しいとは思われなかったに相違ない。 本日初参加の中村先輩が、余りの喧しさに、これは講演者に失礼である、静かにさせろと久保兄先輩に忠告されたそうである。 ところが、久保兄先輩は、中村先輩に、神田会は、講演中は呑み食い自由、雑談自由、質問即OKでやっており、講演者とは言わずに雑談コーディネータと言うことになっているので、この騒がしさを止められないのです、と大先輩に抵抗したそうである。
そんなやりとりこそが、講演にとっては雑談で講演妨害なのではあるが、しかしそれはそれで、ともかく盛り上がったいるのだから、神田会としては、歓迎なのだ。 勿論、全体の盛り上がりが一番肝要なことである、が。 このようにして、ともかく盛り上がった。
会場の中には、トムヤンクンうどんを今度是非とも食ってみたいとの声もあったし、うどんおじさんの実演をどこかで見たいという者もいたり弟子入り希望者もいた。 後で聞いたが、若い参加者の中には、この会の後の土曜日に、早速自宅でうどんを打ったという者もいた。 このようにして手打ちうどんの伝統が承継されるとされれば、講演者も本望の筈だ−と勝手に思うことにしたい。 うどんの話が終わった頃に、多忙で遅れてきた高嶋監督(48年卒)からは、映画「恐るべき『讃岐うどん』」製作の実情が報告された。 高島監督の話では、シナリオを作って、資金集めをして映画作りに入るそうだが、シナリオ作ってスポンサーに高松の本屋さんにあたったところ、面白くないと言われて、現在、面白くするためにシナリオの練り直しをしているようだ。 映画を作るのには少なくとも家一戸分の資金が必要で、その資金集めが苦労のようである。
配付された参考資料の映画の企画書に、簡単な粗筋が書いてあった。 こうやってみると、映画作りの大変さが分かる。 この後、久保先輩が実際に前の夜から準備され、料亭の厨房を借りて準備されたうどんが配られたが。しかし、40人も集まったためににあっという間になくなった。
フォアグラをつけて食うべきフランスパンは、久保(兄)先輩が会の始まる前に買ってきて戴いた(あっ、その料金を払ってないぞ、今頃気付いたーもう遅いから支払う訳にはいかず、ここでお礼だけでも言っておこう−久保先輩ごちそう様でした)。 ワインとフォアグラのうどんとの相性を研究する予定であったが、うどんが出た途端、全員があっと言う間にうどんを食って、研究などした者は見られなかった。
でもフォアグラも、さすがに専門家の久美ちゃんがフランスから輸入してきただけあって、皆んなうまい、うまいと言って食い、少し残っていたのは、誰かが、「これ家に持って帰ろう」と言って持ちかえった。
このような光景が持てただけでも、神田会の価値があるというものだ。 高島監督には、このうどんと私という話で面白い話があれば、映画に使っても良いと各人が著作権の譲渡予約をしての話であった。
「高高の食堂のうどんを3時限終わって食った」というのは共通の話題であった。 その中で大西先輩(33年卒)の、豆の天麩羅うどんの話は意表をついた。
先輩曰く。 ここで、会場の皆んな、一瞬びっくりしたが、あの豆のてんぷらの味を思い出した。
先輩曰く。 会場から、そうだとの声があがり始める。
先輩曰く。 この演説に、会場からは全員の「そうだ」「そうだ」の声が聞こえてくる。 先輩曰くも好調になってきた。 「あんな、江戸の海老の天麩羅なんぞが入っているのをテンプラうどんなんて言うなっちゅんじゃ」 「そうだ、そうだ」の合唱となってくる。 「おまけに、最近では冷凍えびではないか。中には、まだ解凍できてなくて、冷たい天麩羅まであるではないか」
「そうだ」 「海老のテンプラうどんなどは、食ってるときに衣が剥がれるやないか。そんなものはてんぷらうどんとちゃう(違う)ぞ」 「そうだ」「そうだ」の合唱が復活する。
「豆のてんぷらうどんを見てみい。 「そうだ」「そうだ」
「豆のテンプラとうどんの醸しだすハーモニーや。このハーモニーにこそ、テンプラうどんの醍醐味があるんじゃ。 「そうだ」「その通り」
「あの豆のてんぷらを噛んで、豆の味とてんぷらのコロモの味が溶けているところにうどんを噛む。 「そうだ、うまいぞ」 「これこそが、てんぷらうどんじゃ」 「そうだ」 「やはり、てんぷらうどんは、豆のテンプラのうどんじゃ」
「そうだ」「そうだ」
みんな、東京からの帰郷では、宇野から連絡船に乗ったら、すぐに船の中のうどんを食ったのだ。 うまいうどん屋の名前も出てきた。
三崎屋先輩(34年卒)の東京訛が少し混じった高松弁の話は、いつものとおりの喝采であった。
中村先輩からは「長尾街道の某店はよく知っている」という話があった。
さすが、直ちに、タダになるとは言わずに、間接話法のような手法でタダにする方法を伝授された。 私も、今度、そこに行って「中村先輩から『中村先輩の名前を言えば、タダにしてくれるのでないかと言うとタダになるかも知れない』と言われました」と言って、この間接話法を使ってみよう。
この他にも各々がうどんとの関わりを色々と話をしたが、私が別に映画作りをする訳ではないので、特にメモも取らなかったので、忘れてしまった(参加者の方ゴメン)。
長い手打ちうどんをワイワイ言いながら楽しんでいた姿が記憶に残っている。 そうだ、祭りになると、父母と職人さんが一緒になって手打ちうどんをワイワイ言いながら打っていた記憶も今突然蘇ってきた。 私が長ずるに及んで(と急に偉そうに言うこともないのだが)、高松に引っ越してからのウドンの記憶は、私の家がパンの製造をしていたので、職人さんがたくさんいて、昼飯には、うどんの玉を何セイロかうどんの玉屋さんから配達して貰って、みんな勝手に茹でて、出汁を自分でかけてうどんを食っていた。 うどん好きの人でダシなどをかけずに醤油だけをかけて、これが一番ウマイなんていいながら、あっと言う間に食っていた人もいたなんてことを思い出した。 私の家がパン屋だったせいで、食べ物などには全くコダワらない私ではあるが、うどんと合うパンを色々と試したことがあった。 そして結論としては、カツパンとうどんが合うことを発見した。私の人生の中での唯一の発見が、このカツパンと素うどんが合うということだ。
カツぱんというのは、本当のカツではなく、ハム(ソーセージ?)をフライにしたものをパンの間に挟んだやつである。
これは余りポピュラーな食い方でないので経験された方は余りないであろうが、ともかく、これはいけるので、是非とも、これをお読みになった方は試して欲しい。 まあ、うどんと合うものといえば、オーソドックスに言えば、おイナリさんであろう。
高松などでは、うどん屋でいなり寿司をおいていないというのはモグリみたいなものだが、東京のうどん屋は勉強不足で、いなりをおいてない店が結構ある。 不信心なことである。
何度かイナリを置くように忠告し、最近、イナリを時々おいている。
という私のうどんの関わりは、会場では当然していない。
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