平成9年10月17日 花の金曜日の夕べ
 神田で最近オープンしたレストラン「イタリア風食彩『花乃碗』」で、「ワイン-そのフランス文化に果たした役割」というテーマの会合が行われた。


 この会合には、この日を含む10月中旬の1週間、銀座三越で開催された「『フランス美術刺繍』潮入俊子展」の潮入先生も出席。

 レストランで、ワインの話に、フランス美術刺繍が話題となる会合。
 そんなフランス文化の香りする会合が、あの「何だ、タカコー?神田かい?」と言われる高高神田会の会合なのか?

 田舎者の集まりである高高神田会が、こんな会合をするのか、
 と誰しもが疑問を抱くだろう。
 出席する我々だって、恐る恐る参加している位である。


 ところで、実は、この会合、またの名を「久美ちゃんとワインを飲む会」と称しており、タイトルは凄いが、単純に、ワインを飲んだこともないような田舎者がワインの話を聞きながら、飲むというだけで、大層なタイトルは、酒のツマミのようなものである。

 ところで、この会合にかけるソムリエ役の久美ちゃん-伊達久美子(43年卒)-の意気込みたるや凄かった。

 久美ちゃんは、元エールフランスのステュアデスで、現在は、そのフランス語を生かして、ワイン輸入の会社で活躍中。
 だから、ワインの専門家なのだ。

 この専門家、会合の数日前には、このレストランに乗り込んで打合せをした。
 ワインは料理に合わせることが大切であるとの信念に基づいて、会当日の料理メニューを打合せ、それにあわせてワインのセレクションをしようと言うわけである。

 こんなに力を入れて準備をするものだから、レストランのシェフも、久し降りに、料理の分かる人々の会合だ、と誤解して腕を振るうぞと腕まくりをする。

 まさか、当日集まるのが、味もワインも分からない田舎者の集まりとは夢想すらしていない。

 この打合せに立ち会った久保先輩や私は、ワインの予習が過ぎて酔っぱらいクダを巻きながら、唯々、久美ちゃんとシェフの熱意に驚嘆するばかりであった。


 会合当日、シェフに聞いて再び驚いたが、ソムリエ久美ちゃんは、料理の打合せ後、自分でワインを選択して、その選択したワインを会合の数日前には、このレストランに送り込み、どのワインはどのように保管し何時から何時まで何度で冷やしておき、赤のどのワインは、何度に保ち、飲む一定時間前に栓を抜いておいて下さい、なんて細かい指示をしていたのだ。

 こりゃ、凄い。

 ワインは勿論、赤玉ポートワインと養命酒との違いも分からない田舎者が、始めてワインを飲む会合とは思えない程、本格的だ。

 偉いこっちゃだ。


 会場に入ると、テーブルには、「本日のワインリスト」なる文書が用意されていた。
 ワインリスト?
 おいおい、何やて。「本日のワインリトスーサービス順」と書いとるぞ。

 こりゃ、凄いなぁ。

 最初のところを見ると、

 1 CHAMPAGNE "LANSON" 次の3種からお選び下さい

と書かれてあり、次にその3種とやらが書かれてある。

シャンパーニュ 
シャンパーニュにカシスを少量加えてキールロワイヤル
又は
白ワイン プイイ フイッセを加えてキール

とある。
 おい、何やら、メンド(難し)げなぞ。
 こりゃ、偉いこっちゃ、やな。


 と、周りを見ると、初参加戴いた井関先輩や、邦子さんと一緒に参加して戴いた三崎屋先輩は、初参加のせいか、まだ静かである。
 大西先輩はと見れば、ワインなんて任してとけという風に落ち着いている。
 久保先輩はと見ると、会場全体を見回して、さあ、いつから始めるかと算段をしている。

 このレストラン、人数は40人近く入るレストランである。
 事前に折衝して、35人前後は入るから貸切りにして下さいと頼んで、ようやく貸切りにした。

 そのために、通常の神田会だけでは足りないので、井関先輩や三崎屋先輩にも応援を頼んで参加して貰った。
 優しい三崎屋先輩は、奥様連れで応援に駆けつけてくれた。

 フランス刺繍の潮入先生(奈良在住だけど高高26年卒の先輩)は、個展で忙しいのに三越から駆けつけて戴いた。
 潮入先輩を紹介戴いた玉木さん(38年卒)も出席してくれた。

 私の同級生の岩部君は平井君を連れて応援に駆けつけてくれた。
 27年卒の工藤、塚原の両先輩は、いつものように、同級の久保さんが暴走しないようと監視を兼ねての参加だ。
 27年卒は、いつもは5人位で久保先輩のガードに来ているのに、今回は、2人で大丈夫かどうか心配そうでもある。

 私の横には若い青年が座っている。聞けば、56年卒の西口、太田コンビだ。
 56年卒と言えば、久保先輩より30年近く後輩だ。
 親子のような年齢になる。同じ高校を卒業というだけの共通項で、親子程の他人が親しくなれる、わが会の妙味である。


 久保先輩の仕切りで、会が始まる。

   久美ちゃんが紹介され、用意されているシャンパーニュが注がれ始める。

 何や。シャンパーニュというから難しいものかと思ってたら、シャンペンやないか。
 何て思っていたら、久美ちゃんから、早速、シャッパーニュのLANSONの説明である。
 スパークリングワインと言う発泡性のワインで、フランスのシャンパーニュ地方でとれた発泡性ワインのみがシャンパンと呼ばれる。
 ランソン社は、英国王室御用達の著名なシャンパーニュの会社だそうだ。

 なる程。発泡性ね。
 あちゃらでは、泡ワインなんて言わずに、スパークリングワインなんて言うのだ。うまい命名だなあ。泡だとブクブクして何だか余り美味そうではないが、スパークリング・ワインなんと言うと光輝くような感じがしないでもない。
 商売とは言え、命名がうまいなぁ。

 希望者には、キールロワイヤルやキールも配られる。


 酒が配られて井関先輩の音頭で乾杯。

 乾杯後は、久美ちゃんの講義である。

 ワインはラテン語でvitis(ぶどう) 、vinum(ぶどう酒) と言い、フランス語でVin(ヴァン) 、イタリア・スペイン語でVino: ドイツ語でWein (ヴァイン):ロシア語でBunoだそうだ。

 ワインの生産量は、多い順に、イタリア、フランス、スペイン、アルゼンチン、アメリカ、ドイツ、旧ソ連、南アフリカ、ポルトガル、ルーマニア、オーストラリア、と世界の50ケ国以上で生産されており、そのうち、イタリアとフランスで全世界の半分近い生産だそうだ。

 という説明を、講師である久美ちゃんが、やり始めたが、聞こえない。
 乾杯が済んだら、直ぐにいつもの神田会になっている。

 何たって、神田会の講演は、講演者は雑談コーデネイターという肩書で雑談をリードする役になっており、講演している最中に、呑み食いOKで、講演の途中に突然質問したくなれば当然質問もできるという形式である。
 講演者には非常に非礼なのであるが、先輩と後輩なのだから、親しきなかには礼儀なし、でやっている。

 講演者の声が聞こえないというのは、会が盛り上がっていて、講演者である雑談コーディネイターの功績大ということになる。

 久美ちゃんは、大声で説明する。

 聞いている者と、聞いてない者、渾然としたいつもの我々の神田会だ。
 余り聞こえないと、久保先輩が、傍に立って、拡声器代わりに大声で説明する。


 久美ちゃんは、レジメを用意していた。それを見るとワインの歴史が書かれている。

 ワインは、歴史的には相当昔からあったそうだが、文献上は、古代バビロニアのギルガメッシュ叙事詩にワインを振る舞ったことが記載されているそうだ(紀元前4千~5千年らしい)。
 エジプトにも紀元前数千年に記録があり、かのハムラビ法典には、酒癖の悪い者にはワインを売ってはならないことが定められていたそうだ(紀元前1700年)。
 このハムラビ法典では、酔って騒がしい者にも酒を売ってはならないと定められていたそうだから、この法律だと、神田会では誰もワインが買えない。

 紀元前1500年頃には、ワインはエーゲ海の島々に広がり、それがギリシア、ローマに広まり庶民の飲み物となっていったらしい。
 ギリシアでは、有名なお医者さんのヒポクラテスが「ワインは飲物として最も価値があり、薬としては最も美味しく、食品としては最も楽しい」との有名な言葉を残したそうだ。
 かのプラトンもワインについて、18歳までは禁酒、40歳まではホトホドに飲むべし、酩酊する程飲んではならないと言っているそうである。

 ローマのロムルス兄弟の建国当時の法律では、婦女子は禁酒、男子も35歳までは飲んではならないとされていたようである。
 婦女子が酒に酔って騒ぐと死刑、飲酒は離婚理由ともなったというから、これが現代の法律なら日本の女性は全て死刑とか離婚になり、弁護士は繁盛するだろうになぁ。

 ローマ時代の当初のワインは、ギリシアと同じように、水割りにしたりお湯わりにしたり、酢とかブドウジュースを混ぜたり、海水を混ぜて保存したりして、今のワインとは相当異なる飲み方をしていたらしい。
 史上空前の大ワイン年と言われる紀元前121年を迎える頃に、うまいワインがでて、そのまま飲むようになっていったらしい。

 ところで、ギリシャでワインと言えば、かのディオニソスの酒神があり、ローマではバッカスがある。
 また、神と言えば、キリストが、パンがわが肉体、ワインは我が血なんてことを言ったために、教会の儀式に不可欠なものとなり、中世の修道院がワイン造りの中心的な担い手になっていったそうだ。

 16世紀~18世紀の宮廷文化と共に、醸造技術も発展し、17世紀のコルクの栓の利用により品質も向上した。

 ヨッロッパの植民地支配によって、世界にワインが広まっていった。

 19世紀末には、アブラムシの発生でワイン樹が壊滅状態になったが、アメリカ産のぶどうの樹を台樹にして、在来苗を接木して再生、現在に至っている。

 というのがワインの世界史だそうだ。


 本当は、久美ちゃんは、静かにワインを嗜む会場であれば、このような説明ができたのであるが、余りの喧騒で、途中で、配付したプリント資料を読んで下さいと、自習を勧めて自主学習に変更された。


 自主学習に変更されて、最初の本格的なワインが注がれた。

 久美ちゃんの説明がある。
 POUILLY FUISSE (プイイ・フイッセ) 1995

 このワインは、ブルゴーニュのソーヌ・エ・ロワール県、マコネ地区の辛口白ワインで、ぶどうの品種はシャルドネ。

 更に、甘口が希望の方にということで、
 CHATAU CLOS HAUT-PEYRAGUEY (シャトー・オー・ペラゲ) 1992

 これは、ボルドーのソーテルヌのプルミエ クリュの甘口白ワインで、品種はセミヨンだそうだ。

 私も見た目で、これは赤ワインではなく、白ワインであると言うことまでは分かるが、後の説明が分からない。
 でも、飲んでみると、確かにうまい。

 ついでに、料理の味も味わう。
 料理もうまい。ワインもうまい。


 私は、小さいときから、味に興味を抱くなどというのは、人の道に外れるもので、食事中はタダお百姓さんに感謝しながら、静かに食べるものと言われて育った。
 そういう品の良い家に育った私としては、ワインで食事をするということは、食物、飲物を味わい、その印象を口に出して食事をするという異文化の下で食事をすることになる。
 田舎者が、都会風の食事をすると言うことは、大変なのだ。

 そうこうしていると、次のワインが注がれた。

 久美ちゃんの説明では、ワインリスト3番の
 CHASSAGNE MONTRACHET (シャサーニュ・モンラッシュ) 1995

 ブルゴーニュ・コート・ドール県 コートドボーヌ地区のシャサーニュ モンラッシュ村の辛口白ワインで品種はシャルドネ。

 次のワインは

 4. CLOS DE TART(クロ ド タール) 1993  辛口赤ワイン

 ブルゴーニュ、コートドール県、コートドニュイ地区のモレ・サンドニ村のグランクリュの上質高級ワイン 品種はピノノワール

久美ちゃんの説明では、これは、本日の一番のワインだそうである。

そう言われて飲むせいか、いや、本当にうまい。
赤玉ポートワインとは違うぞ。


 私は、途中で席を離れて、佐々木さん(43年卒)と話をした。
 佐々木さんは、今日は、同級生の久美ちゃんが話をするというのに欠席などできる訳がないと、仕事をすっぽかしての参加だ。

   佐々木さんは、いつも神田会で入江さんと二人で神田会の日本酒の半分以上飲んでいるものだから、てっきり、日本酒党と思っていたら、ワインも結構詳しいのだ。

 何だ、日本酒党ではなくて酒呑党なのだ。

 でも、ワインのブーケもアロマも既にご承知で、ワインの銘柄にも詳しい。
 よくよく考えてみれば、佐々木さんは、ホテル・ニュー・オオタニの宴会などの仕事で、ワインは専門家なのだ。

 趣味で仕事をしているのだ。


 久美ちゃんから、ワインの味わい方も教わった。

「ワインの飲み方は、グラスにワインを注いだら、まず眺めて色を味わいます。
 ぶとう酒の透明感を楽しみます。」

 ほほう、まずは目の保養をすると言うこっちゃな。

「つぎに、香りを味わいます。
 まず、グラスに並々とつがれたワインの香りを味わいます。
 この香りが『アロマ」と言われています。これは、ぶどうの香りが中心となります。

 次に、グラスを揺らして再度香りを楽しみます。
 揺らして味わうのは、熟成したぶどう酒の香りで「ブーケ」と呼ばれます。

 その香りを楽しんでみて、それから飲んでみて味を味わいます。
 味は、甘み、酸み、渋み、苦み、アルコール度を味わいます。」

 ふーん、ワインを試すのも大変やな。

 よし、教わったとおり、葡萄酒を嗜んでみよう。
 うん、まず、グラスにワインを入れて貰ろうて。
 色を見ろって?
 うん、きれいな色や。透明感? うん透明やぞ。

 次は何や。香りを味わう?

 よっしゃ。うん。
 えっ、まだ揺すったらイカンのか? もう揺すってしもうたぞ?
 揺すったのを元に戻せんのか? 何? 空気が混ざったから、もうイカンのか。

   中々ぶどう酒を飲むのも大変やなあ。

 揺すったからアロマなしのブーケだけか。
 まあ、エーやないか。

 やけど、凄いのお。フランスは。
 臭いだけでも、アロマやブーケや言うて、勿体つけるんやのお。

 えっ、臭い言うたら、イカンのか。「香り」ちゅうて言わんとイカンのか。

 おう、香りは中々エーぞ。
 もう香りを味わったからから、飲もうで。

 何、そんなにガフガフ飲むなーて?

   えっ。何やて。飲んだら、味の印象を言わなイカンのか。
 ワインはメンドイのー。

 うん、ウマイでー。
 えっ、ウマイでー、言うだけではイカンのか。
 何やて。何か、文学的に表現しろって?

 大変美味でアリンス
 えっ、何でアホや。そうか、アリンスというのは吉原の言葉で、全然文学的な表現にな っとらんやないやて。
 そんなこと言うても、無理でアリンス。いやアリンスはヤメや。

 という言葉のやりとりが会場で見られる。
 えっ、それは他の者でなくて、実はお前だろって?
  バレたか。
 でも、讃岐田舎文化に育ったものが、フランス文化に馴染むのも楽ではない。


 フランス人は、こういうときには、
 「初めに少しじゃこうの香りがし、グラスを回しているうちに、やがて蜂蜜とスパイスの濃厚な香りに変わり、のどの奥に熟れた水密桃の味が残る」

 「芳香は強く、黄金色は鮮やかに輝き、風味は長く口に残り、滋味豊かで起伏に富んでいて、全てが緻密であり、真に偉大なぶどう酒である」*1
位のことを言わないと、味わったことにならないようである。
*1 なお、この文章は、戸塚真弓「ロマネコンティの里から」という本からの盗用である。

 久美ちゃんメモによると、香りも色々な分類があって、
 ボルドー大学の教授によると、9種類の分類があり、
動物質(牛肉、鳥肉等)、
バルサム質(松、ヴァニラ等)、
木質(オーク樽等)、
化学的(アセトン、メルカプタン、酵母菌等)、
香辛料(胡椒、丁字、シナモン、はっか等)、
焦臭的(煙、トースト、コーヒ等)、
花(すみれ、バラ、ライラック、ジャスミン等)、
果実(黒すぐり、苺、チェリー、あんず、梨、桃、林檎、レモン、メロン、バナナ、マンゴ等)、
植物(ハーブ、茶、マッシュルーム、茎、野菜等)
などがあるそうである。

 フランス人は、ワインを飲んだ途端に、こんな香りがするとかを言うのか。
 大変だなぁ、ワインの香りを楽しむのも。


 久美ちゃんメモによると、ワイン用のぶとうというのは、5000種もあり、現在栽培されているので1000種、実際に使われているのが100種だそうだ。
 この100種の葡萄が、場所によって、また収穫した年によって、また作り手によって、味、風味が異なってくるという。

 なる程、そうなのだ。

 でも考えて見れば、こうやって、違いがあるぞ、と小さな違いを見つける競争をさせてマニアを作っていく。
 単なる飲み助を、フランスのワインのマニアにしてしまう。それも文学的な香りのする表現を競わせて、文化的なオブラートに包んだマニアにする。
 このようにしてワイン文化を作ったのだ。

 そしてソムリエなんて職業を作る。
 更に、コンクールをする。
 日本人を優勝させる。
 日本にワインブームを起こす。

 いやはや見事だ。

 このワインの会の後、田崎真也さんの番組を時々見るようになったが、これが意外と面白い。
 味が分かるというのは非常に楽しいということがよく分かる。

 田崎さんというのは本当に凄いと思う。
 醤油とワインを混ぜるとイイ味がでる。なんて話を聞いていると、味とか料理というのも文化で、文化と文化が衝突することによって、新しい文化が生まれるということが理解できる。

 オーストラリアの多文化主義というのは、本当は凄い試みをやっていることがヨク分かってくる。
 オーストラリアにひょっとすると人類史上なかったような新しい味が生まれるのかもしれない、なんて気持ちになる。


そうだ、ワインの会だ。

会場では、至るところで盛り上がっている。更に、次のワインがでてきた。

5.ボルドー メドック 格付 1855 年

CHATEU GOSCOURS(シャトー・ジスクール)1994
 ボルドーメドックの格付グラン クリュ 3級の辛口赤ワイン マルゴー村

・CHATEU CLERC MILON (シャトー・クレール・ミロン)1993
 ボルドーメドックの格付グラン クリュ 5級の辛口赤ワイン ボィヤック村

ボルドーグラーヴ( 格付 1953 1959年)

・DOMAINE DE CHEVALLER (ドメーム・ド・シュヴァリエ) 1993
  ボルドークラーブの格付グラン クラーヴ・ルージュ12種のひとつレオニャン村

 次から次へとでて来るぞ。

   いやはや、いっぱい飲んだぞ。

 一杯だけじゃなくタクサン飲んだじゃないか、と言われても困る。

 何杯飲んだか忘れたが、ウイー、一杯飲んだぞ。

 ウィー、ワインも日本酒も酔うのは一緒やなぁ。

 ウィー、マダムや。


 ワインは健康的に良いから、ワインを愛飲しているという者もいる。
 そう言えば、ペルシャ時代にワインを「薬のなかの王」と称した王がいたそうだ。
 その王様は、ワインを出来るだけたくさんのワインを作らせるために絞りに絞ってワインを作ったそうだ。

 できたワインは絞り過ぎで非常に渋くて苦いものになったそうで、王様は、これは毒だ、と捨てさせた。

 ある女奴隷が日頃の重労働に耐えかねて、毒だというワインを飲んで自殺を図った。
 一口飲んだが死ねずに気分が良くなる。それでは駄目だと更にワインを飲む。
 そのうちに酔って、日頃の疲労もあって3日3晩寝てしまう。
 起きたらスッキリし、生き返った。

 そこで王様がワインを「薬の王」と言ったということである。
 まるで出来の悪い落語のような話である。

 薬と言えば、ワインが薬として使用されるというのは、結構あり、今でもワイン医学者という人もいる位だそうだ。
 日本でも日本薬局方にワインというのがあったと言う。
 そう言えば、日本のワインブームも赤ワインが健康に良いと言うワイン医学者の見解が影響しているようだから、ワイン薬説というのも、商売に非常に効用がある説でもある。

 この手を使えば、日本酒だって、外国に売り込めるはずだ。

 日本人がこれだけ汚れた空気と汚染された水を飲んでいても世界一の長寿国になったのは、日本人が日本酒を飲んでいるからなのだ。
 ワインは高血圧にしか効かないが、日本酒は長生きに効く万能薬なのだ。
 世界にすしブームが生じた後は、日本酒ブームが来るはずである。

 いまの吟醸酒ならば、世界に流通して不思議ではない。
 あとは、フランス人がワインを世界製品にしたノウハウを盗めば、日本酒の世界制覇も夢ではない。


 しかし、それにしても、ワインというのは、いやはや、フランス人が、本当に文化にしてしまっている。

 フランス人というのは、何だか理屈が多いと思っていたが、ワインも結構、理屈を入れて、ワインを楽しむなんて言いながら、けっこう産業にするわ、文化にするわで、いやはや、実に大したものだ。

 やはり、日本酒もいずれ理屈をこねて文化にしなければイケナイのだ。
 社会が豊かになるということは、そういう暇なことに皆が納得していくことなのだ。

 我々が田舎からでてきた頃は、日本もまだまだ貧しい社会だった。
 我々は、貧しい日本が豊かになりつつあるスタートの頃に、時代の先端社会と言うべき東京に出てきて、何十年か(人によって異なるが)を過ごしてきた。

 だから、豊かな社会生活への変化と一緒に道を歩んで来た人は、ワインにも造詣が深くなっている。
 しかし、折角都会にでてきても相変わらずの田舎者の生活をしてきた者は、ワインなどには全く触れず、いまブームになって始めてワインというのは凄いではないかと驚く始末なのだ。

 未だに田舎者である私は、フランス文化に接して、カルチュア・ショックを受けて、改めて自分の田舎者ぶりに愕然とするばかりである。

 しかし、ワインというのは、何だか難しい。

 フランス人の計略で、なんだか全てのワインにご託があり、銘柄も多く、格付けやらなんやらで基礎的な知識を得るだけでも大変だ。

 最近、元英国駐在大使の書いた本を読んで、ロンドンの日本大使は、ワインを毎年買っておき10年以上後の後輩大使が飲みごろになってワインを飲める-大使主催の会合で使える-ようにしていくのが重要な務めである、と書いてあった。

 そう言えば、先程無断引用したロマネコンティの里からという本にも、ワイン好きの著者が、色々なワインをスーパなどでも購入してワインセラーで保存しておき、それを料理に合わせて数年経ってから飲む楽しみが書かれていた。

 こうなると、ワインは「時間」までも飲むというシステムにしていることに気付く。
 うまいなあ、フランス人は。このように時間までも商売にしている。

 ワインは、その貯蔵された時間も味わうのです、なんて言われたら、私のような単純な人間は、それだけで萄然としてしまいそうである。


 そうだ、これは小説か映画などで使えるぞ。

 物語の最後の場面。
 主人公の二人が、ワインを飲む場面なんてのは良いかも知れない。

 例えば、主人公の男二人。
 かっては命を張って争っていた仲。
 男一人が、相手のグラスにワインを注ぐ。
 他方の男が年代に気付き、それとなく相手に気付いたことを示す。

 言われた男は、何も言わずに、ウィンクしながら微笑む。
 それをみた男は、今度は、微笑みながら、グラスを軽く上げて「茨の道に」とでも言う。
 この言葉は、二人が命を張って争っていた際に、そこで死んだ老人が残した言葉であり、二人だけが知っている言葉である。

 なんてのもあるかな。
 でも、これはやはりウィスキが良いかなぁ。

 ワインならば男女かな。

 主人公の男が、女のワイングラスにワインを注ぐ。
 ワインは赤だろう。
 注がれるワイングラスをアップする。
 そこに赤ワインが注がれる。

 逆光で透き通った赤の色。
 女がワイングラスを取り上げる。
 画面は、手のアップから、腕をなめて胸から首。
 首飾りは、何か伏線で使った首飾り。
 唇から顔。香りを味わう女。
 目のアップのところで、女ハッと驚く。

 画面は、ボトルに釘付け。

 ボトルのラベルアップ。
 ワインのラベルは、ビンテイジ19××年。
 この年こそ、物語の始まり(或いは物語が盛り上がった)年である。

 おんな呟くように19××年。
 女は、静かに、ワイングラスを唇にあて飲む。
 そこで、過ぎ去った数十年の時も一緒に飲む。

 なんてのは、どうだろう。
 でも、こんな場面は既にフランス人が使っているだろうなぁ。


 こんなことを考える程、ワインは時間を飲むなんてフレーズに酔っているようでは、私も相当ワイン文化に影響を受けてワインカブレしたと言わざるを得ない。

 でも、そんな強力な影響力をもたらした、高高神田会第6回の会合であった。