時:平成8年4月12日
場所:平成屋別邸

さかな 魚 うお オビ
川ですいすいと泳ぐ魚。海でゆったりと泳ぐ魚。
食卓上のコンガリ焼かれたうまそうなさかな。
近所の魚屋さんに並んだ魚。魚河岸に転がった魚。
水槽の金魚や熱帯魚。

我々の生活のまわりには、いろいろなサカナの風景がある。
でも、サカナといっても、その魚の生態は? その捕まえ方は?

漁業の歴史を知ってる? 現在の水産業の状況は?
こうして自問してみると、魚というのはこれだけ身近かなものなのに、私達は魚について意外と何も知らない。

そんな日頃の素朴な疑問を解き、あらためてサカナについて考えるべく、我々、東京神田会の暇なーしかし好奇心溢れるーメンバーは、第2回東京神田会の会合に集まった。

時は平成8年4月12日。
場所は、神田淡路町の小綺麗な料亭の2階座敷。
寛永3年創業の料亭、と言いたいところだが、その小綺麗さからからも、また、名前からしても新しいことがバレる。その名も平成屋別亭。

今回の会合の定刻は、6時17分。
6時17分の定刻が中途半端で変でないかと思う者がいれば、それは時間の因習に囚われた者である。
我々の会は、このような日常の幻想から開放されるための会合でもある。

この日の日没時間が午後6時17分。
よって、この時刻に合わせて会合を行う。
とまで、言うと、6時17分も丁度の時間という気になってきません?

これで良いではないか。
と言われると、素直に
「そうだ、良い。宵。酔いやさと♪♪」と歌いたくなるというものだ。

 更に興に載れば「♪ 一合まいたあー♪ もーみのたーね ♪」と踊りたくなってくるやろ。
 と興に乗ったところで悪いのだが、実は、この日の日没時間は知らないのです。ゴメン。

 ともかく会合の開始時刻は6時17分なのだ。
 本当のところは、6時前にそろそろ出掛けようととすると電話などがあるー大体、人が出掛けようととすると決まって電話という奴がかかってくるんやわ。それで何やかやとで遅れる。だから多分17分位にしておけば丁度その頃に会場に着けるはずと言う単純なものに過ぎない。
 ともかく、私はこのようにして丁度定刻には着けた。

 既に、久保先輩、吉田先輩、佐藤先輩の27年組の先輩が来られている。さすが躾け厳しい教育を受けた人はキチンと定刻前には来ている。偉い。
 また、今日の綺麗所の女性陣の池田さん、田中さんも来ている。
 この定刻前に来ていることだけで、お二人が鄙育ちとは言え、躾の行き届いた家庭の育ちの良い女性であることが分かる。

 そう言えば高松にいた頃ー私の幼少の砌ー大人がしきりに「高松時間」と言っていたことを思い出した。高松では会合が定刻に始まらないと言って親父なんかがボヤいていた。
 多分、私と同じ年代前後の人は同じ経験があると思う。
ひょっとすると若い人は、そんな言葉は知らないのかも知れないが。

 高松は、私が高高に通っていた頃が丁度「のんびり社会」から「忙し社会」になりつつある時代だったのだろう。
 若い諸君が高高に通っていた頃には高松も田舎にしては都市になってしまっているから、そんな言葉はなくなっていたに違いない(でも、あの「のんびり」具合は、昔と変わらないかなぁ)。

 我々が育ってきた日本の時代は、時間には余りこだわらない社会から時間厳守の社会への変化の時代でもあったのだ。ところが、今になって改めて時間のない南の島などに行くと、我々が目指した時間厳守の社会とは一体何だったのかなんて考えたりする。

 今は、そんな変な時なのだ。
 だから、定刻に集まった先輩や女性陣は偉いし、遅れてきても魚漢字クイズで一番多くの漢字を書ける入江さんも偉いのだ。

 今日の雑談コーデネイターは、27年卒の吉田先輩である。

 わが会には講演というのが相応しくないのかも知れない。
 講師が折角話をしていても聞く方は呑み食いをしているわ、話の途中で質問とか意見とかがでてくるわ、で到底講演と呼ぶには講師に失礼である。
 そこで、一応、テーマを決めて、そのテーマに沿って雑談をする。その雑談にはコーデネイターを配する、という形式にするのが、多分この会に相応しい。

 ということで今回のテーマを魚とし、そのコーデネイターとして吉田先輩をお願いした。

 しかし、吉田先輩は真面目な方である。ありがたいことに、キチンと「魚と私」という講演をして下さった。先輩ありがとうございました。

この稿は、本来であれば、その話を再現すべきであるが、このワープロを打っているのは、この会の後、既に3ケ月を経過した時点である。
 今私の脳味噌には先輩が先輩の経験談を交えて話してくれたこと自体の記憶はあるが、その内容までもは到底思い出せない。(先輩スミマセン)。

人の噂も90日。
先輩の話も90日なのだ。

 まあ情けないが仕様がない。
 その時に配付された資料に私の書き込みがあるが、私の字は例によって達筆だから私自身でも読めない。
 かろうじて読めるところで見てみると「親の仇と魚はすぐ捕まえろ」と読めなくもないものがある。やーけど、これは、江戸時代の格言やったかいな?
 折角読めるところが見つかっても、意味が分からない。
 いやはや、これでは今回の記録は無理だなあ。


 親の格言ということで、「親の小言となすびの花は千に一つの無駄がない」という格言を思い出した。

 今年の春に、近所で100円のなすびの苗を買って家庭菜園をやってみた。
 なすびに花が咲いた。花のところになすびがなってきた。女房からなすびの花が咲いたから、きっとなすびはなるよ、なすびの花は無駄がないからと言われた。
 なんだ、そういうことで、親の小言となすびの花なんだ。何だかよくは分からないままに使っていた格言がようやく理解できた。

 ところが、この間、強風が吹いた。
 そうすると、その風で折角咲いていた我が家のなすびの花が散ってしまった。
 だから、我が家では花が咲いてもなすびがならないのだ。

我が家ではなすびの花も 無駄となり

 折角、先輩の良い話を聞いておりながら、全て忘れてしまい、結局、アホな川柳となってしまうとは、我ながら情けない。

 これで今回の記録がお終いという訳にはいかない。
 そこで、吉田先輩の話を思い出しつつ、この機会に自分自身でも魚について考え、これを読む人がさらに魚について考えて貰えれば、先輩の話も結局役にたつということになる。
 と思って、このメモを纏めていくことにした。

 そこで、思いつくままに進みたい。
 ここで「すすみたい」とワープロを打つと「煤みたい」とでてきた。ワープロというのは凄い。私が書こうとすることが「煤みたい」なことであることを既に見破っている。
 更にワープロに「私が書こうとしている」と打つと「私が下降としている」と出て、打ち直すと「私が加工としている」などと出てきて、私がやろうとすることが下らない、加工(インチキ)であることまでも見破られてしまった。
 このワープロは読心機能がついとるのか?
 でも、ここで挫けてはならじ。ワープロなんかに負けるもんか。
 ここで、このメモが終わったのでは、まるで羊頭狗肉ならぬ魚頭苦肉になってしまう。

 日本語で日本では魚を捕ること(漁業)を含めて水産業という。
 英語でこれに対応する言葉は「Fishery」で産業とは言わない(これは吉田先輩の話で感心した話の一つであります)。
 ここで暇な私はこの話を膨らまそうと考え、研究社の和英中辞典で「漁業」を見てみた。するとFISHERYの後に「fishing industry」と書いてある。ありゃ?

 水産業もついでに見るとmarine product industryとある。 ありゃ。
 でも、多分、この英訳は和製英語なのだろう。
 こうなりゃ、Websterに相談してみるしかない。
 そこにはfishing industryという言葉は見つからない。
 そうなんだ、やはり先輩にいう通り、英語では漁業を産業なんて言わないんだ。

 そもそもindustryとは何かをwebsterで見ると、その語源は、induがinと同じでstruusがbuildとあるから抑々は大工さんあたりの技巧を指してようだ。欧州が産業革命を経て、この言葉が変遷し、現在では大規模な人員・資本を要するイメージがあるために、漁業には使われないのだ。また、英国やアメリカには、カマボコ工場もないのでindustryとは言わないのであろう。

 考えてみれば、水産業という言葉自体が、漁業を含めた水産関係の事業を産業としたいという希望を込めた言葉でもあるような気がしないではない。
とんだところで脱線しているので軌道を戻そう。

 久保先輩の話では、吉田先輩は、当時の制服制帽のかっこ良さに憧れて、水産大学に入学したとのことである。
 確かに、制服制帽の若者というのは凛々しくて、先輩が憧れたのも分かるように気がする。

 ところで、最近の若者は「凛々しい姿」などに憧れるのだろうか?
 最近の若者は何に憧れているのか。何にも憧れもしない不幸な時代を迎えているのでないか。
ーてなことを言ってると、また脱線しそうだ。危ない。危ない。

 吉田先輩は入学して体験学習としてイワシのキンチャク船に乗船したそうである。キンチャク船というのは、説明を受けたのだが忘れている。そこで、キンチャク(網)を辞書で見るとー絞ると巾着のようになる網ーとあるので、これような網でイワシをとる舟だーと思う。

 先輩はそこで働いて安い報酬を得たそうであるが、どうも先輩の期待していた世界と少し違っていたらしい。
 そこで卒業後は、全漁連に勤め、個々の漁業よりも日本全体の漁業、計画的採捕、漁業の技術革新等に取り組んだとのことである。全漁連は傘下に2000もの組合を持った組織である。

 先輩から戴いた資料では、日本の漁業は、ここ数年来、漁獲量が減少している。
 考えてみれば、昭和30年前後から現在までの漁業というのは、日本経済の高度成長期の中で、日本の漁場であるべき海や川が犠牲にされた時期でもある。
 日本の漁業組合が漁場を奪われ、やむなく補償金を貰って漁業を捨ててきた歴史でもあろうか。
 また、遠洋漁業の関係では、日本近海だけでなく世界中に海にでて、世界の海が舞台となってきた歴史でもあろう。

 先輩は酒席であるために、多くは語られなかったが、きっと色々な想いがあったに違いない。

 先輩から戴いた資料で世界の主要国別生産量(魚介類・海藻類)の平成4年度のトップは、それまでの一位であった日本を抜いた国がある。
それは、何と中国である。
これは驚きである。

 あの農業の国。中華思想の国が、漁業で世界一になっているのだ。
 日本経済がいつ中国経済に追いつかれるかは、時間の問題だが、漁業ではすでに追い抜かれていたのだ。
 TVで鰻(うなぎ)の話があり、最近、世界一のうなぎの生産国が日本から中国に移ったことが紹介されていた。

 こう書いていたら、朝日新聞の日曜版でも、うなぎの記事があり、同じような話が載っていたーこんなものを書いていると、日頃読まないような記事もついつい読んでしまう。
 こんなものでも書いていることの効用である。

 本当に、この記録を担当すると人間賢くなるんやで。
 誰か賢くなりたい奴はおらんのかのぉ。次回から賢くなりたい奴を募集したろ。

 その賢くなる記事によると、日本の10万トンのうなぎの消費量の半数以上は中国から輸入されるそうだ。
 日本の商社等の活躍である。
 名古屋空港には毎週1度はうなぎのチャーター機が中国から着くのだそうだ。蒲焼は、中国福建省等で50以上もの工場で加工され、コンテナで直接日本のスーパーに輸送される。

 凄いやろ。毎週うなぎのチャーター機やで。
 賢くなるやろ。

 日本のうなぎ産業は中国に完全に負けましたとは日本の業界の発言でもある。
 浜松のうなぎの養殖産業が開始したのが丁度100年前の明治30年。
 うなぎの歴史だけでも日本の歴史の一端が伺われる。

 魚をどうやって捕んまえるか。
 手でつかむ、手足で追い込む、道具を使って釣る、刺す、籠に入れる、網(投網、引き網、巻き網、刺し網、延縄)を使う、と色々ある。
 魚を捕まえる方法も最近では魚群行動をコントロールする方法を研究中なのだそうだ。
 電気を使って捕まえる方法もあるそうだ。
 これだけではない。音を使うという方法もあるそうだ。

 人類にとって魚は本当に貴重な食料なのだ。だからこそ、こんなに沢山の方法を捕まえる方で考えつき、更になお研究が続いているのだ。

 そう言えば、昔、わが家に「鮎」の本があった。
 兄貴はこんな本を読むのかと感心しつつ、頁をパラパラめくったことがあった。
 その中で、鮎はテリトリー意識が強いので、自分のテリトリーに他の鮎が入ってくると攻撃して、そいつを出そうとする習性があり、この習性を利用して糸の先に生きている鮎と針を泳がせて、攻撃してきた鮎を釣り上げるトモ釣りという方法が載っていた。
 人間というのは、いろんなことを考えるものだなぁと感心した。

 ーこんな記録を書いていると、思いもよらぬ、昔の兄貴の本まで思い出すのだ。
 凄いなぁ。本当に思いもよらぬ貴重な体験ができる。
 これは凄いぞ。誰か、こんな貴重な経験をしたいと思う奴はおらんかのぉ。
 それにしても、この記録は、いつ完成するのだろうか。
 土用の丑の日には、この記録が完成して、平賀源内を偲んで鰻が食えるだろうか。

 鮎の話を思い出してから、末広さんの本を読むと、鮎のテリトリー意識も鮎の数が多い場合には違ってくるらしい。
 鮎も1‰に一匹の時は、テリトリーを守るが、たくさんになってくると、いちいち追っ払っていると自分の食事ができなくなるので、テリトリー意識がなくなるという。

環境で行動が変わるということなのだ。
人間だって、環境によってはテリトリー意識が変化するはずだ。

いやはや、賢くなるやろ。

いま私は中公文庫「日本の古代8ー海人の伝統」を読んでいる。こんな本に興味をもって読むこと自体、吉田先輩のお陰であるー先輩ありがとうございます。
私は、これでまだまだ賢くなっていくのだ。大変なことだ。

でも、この本が意外と面白いのだ。
ーでも、お陰でこの記録はまだまだ続くことになり、私も大変だが、読んで賢くなろうという神田会のメンバーも、大変なのだ。
ほんまに、とんだ会に入ったものだ。高高トンダ会にするか。
ところで、この本は面白いよ。
私のこのメモを読んだ人はきっと、この本を読み始めるだろう。 きっと読みたくなる 読みたくなる 読みたくなる
ーと暗示をかけておこう。

 誰だ、そこで、よみたくなるを、間違って、ねむたくなっている奴は!

 日本の古代の漁撈で興味深いのは(一杯興味深いことがあるのだが、その中の一つは)鵜による漁法である。この鵜というのは、長良川でホソボソやっているから、大した漁法ではないと思っていたが、どうも違うらしい。

 この漁法は、日本だけでなく中国(江南地方から更に雲南省の山地)から東南アジアにかけてあり、このことや、水稲栽培地帯との共通性から、稲作文化とこの鵜との文化の両方がこれらの地方から日本に来たという。

ー凄いでしょう。鵜飼から古代史が分かるのだ。

更に、鮎を捕まえるのに、鵜だと1時間に120匹から200匹も捕まえることができるそうだ。
 換算すると20~30秒に1匹捕まえられることになる。

人が釣りで鮎を一匹釣る時間と比較してみまぁい。エライコッチャですわ。
鵜を飼っている人は大変な漁の鮎がとれることになる。そうすると鵜というのは鮎漁にとっては大変な道具になるのだ。
鵜飼なんてのは、回りくどい漁法だとばかり思っていたが、とんでもない、大変な漁法なのだ。

長良川の鵜飼などは見たこともないので、単に昔の漁法を伝えるだけのサビシイ夏のイベントだと思っていたが、これが江南から伝えられた由緒ある漁法で、しかも、その漁法も、たいした漁法だなんて聞くと、いつか鵜飼にも行って見るかという気にもなろうというものだ。

そうだ、来年の夏の神田会は鵜飼に行こう。

この本にも紹介されているが、万葉集には魚とか海藻とかの言葉が一杯でてくるそうだ。
そう言えば、うなぎ(胸黄)の歌もあった。
むかしは、魚というものがいかに身近で大切なものであったかの現れでもある。

そう言えば、さかなという言葉だって、「酒と菜」で、神前に捧げるものという意味だった。それが、その代表的なものである魚を指すようになって、魚が結局「さかな」になってしまったと言う。

人によっては、「『さかな』というのは料理されたもので、生きた魚は『うお』と呼ばなければならない」なんて難しいことを言う人もいる位だ。

ー本当に賢くなるやろう。

魚の捕んまえ方には、光を使う漁法だってあるそうだ。
そう言えば、さかなだって真っ暗闇の中で光を照らされると、あっ何だ何だ、祭りらしいぞ、ばかり集まってくる奴もいるに違いない。

人間だって暗闇の中に光があると集まりそうだ。
これは、本当は、光で照らすと、動物性プランクトンが光に集まり、そのプランクトンに小魚が集まり、小魚を目指して大きな魚が集まるということらしい。
イカ漁は満月(前後3~4日)にはやらないという。
 月光が強いと漁船の光にイカが集まらないからだという(足立倫行「日本海のイカ」とかの本にそのようなことが書いてあったと思う)。

「釣りの科学」という本に釣りの餌について「日本では、生餌の動きに注目するが、欧米、中国では匂いに注目する。日本では、みみずはそのままつけるが、中国では、つぶして餌にする(匂いを利用)」とある。

この本には「太公望の女房が、旦那に香料をいれた餌を与えたところ入れ食いになった」ということも紹介されている。
 太公望は奥さんに離縁されたそうだが、男の釣れない釣りの楽しみが分からない女が、たくさん釣れる方法を強制されても抵抗したくなるというものだ。
 男女の違いは古代中国も同じなのだ。

ーいやぁ、賢くなるのぉー。

釣りの餌が日本は世界と違うというのは、凄いでしょう。

ところで、日本人は、釣りの餌で香りを使わないというのは、香りや臭いに無頓着な傾向があるということなんやろか。
少なくとも、私の鼻は鈍い(何も鈍いのは鼻だけではないのだが)。

それはそれとして、もし、釣りの餌が文化の違いに関連があるとすれば、これは比較文化上の大発見(?)だ。

最近は日本でもハーブなんてものがブームになっているようであるが、これは、この香りに関する日本人の文化の変革なのだろうか。
それとも豊かになると香りまでに興味がいくので、そういうことでハーブブームがあるのだろうか。

と、ここまで書いて、あっ、そう言えば、昔から日本にも香道があり、香を楽しんでいた風流な人もいたのだ、と気づいた。
そうするといつの時代でも、豊かな人は、豊かなであるが故のゆとりから、香りまでも楽しみとすることができ、貧しい私などは全然香りなどには縁がなく、鼻を使うと言えばたまに田舎の香水だけを感じる時だけということなのか。

しかし、考えて見ると、情けナイなぁ。
ー勝手に脱線しては、一々情けなく感じていても仕様がないのだが。


吉田先輩の話なのだ。

吉田先輩の説で面白かったのは、地方と魚の関係で「北方の人は赤身(大骨)の魚を好み、南方の人は白身(小骨)の魚を好む」という説である。

私のように、小さい頃から毎日のように魚を食べさされて「ああ、また魚か」と魚嫌いになった者には、赤身も白身もどっちでも良いが、このような大胆な仮説自体には興味が湧く。

 しかし、この説には会場でも議論が沸騰した。
曰く、土佐の料理と言えば鰹のたたきとなるが、これはこの仮説との関係はどうなるのか。
 曰く、黒潮の沿岸ではそこでとれる魚を好み、瀬戸内海のようなところでは白身の魚を好むのではないか。

中には「俺はタコが好きなのだが、俺は北なのか南なのか」「お前は北でも南でもない。西の方の人間だ」「何、おれは西方浄土の人か?」「そう言えば『さいほうじ』という山があったのぉ」「おう、花見にいったのぉ」「遠足はいかなんだかのぉ」と全く関係のない田舎者同士の話になってしまっている者もいた。

こんなことだから、我々の会は講演会にはならないのだ。
まあ、しょうがないけどのぉ。


吉田先輩の話で興味深かったのは、魚に住処を提供して、そこで育てるという考え方だ。
 魚を追い掛けて捕獲するよりも、魚を育てて、それを捕獲していく。
これは面白そうだ。

追い掛けて捕獲する方法から待ってて捕獲する方法。
何やら男女の関係のようでもある。あせって追っ掛けたのでは中々捕まらないが、待っていたら以外とモテタりするーそうであるーが魚の捕獲も異性の捕獲も同じなのだろうか。
 私のように、魚も異性もとんまえたことがない者にとっては、想像がつかない世界ではあるが。

こんなことを書いていたら、土用の丑の日の夜、NHKで「人と魚の愉快な知恵くらべ」という番組があった。
水面をバタバタ叩きながら網で魚をとるタタキ漁法などは、魚を音で脅かしてとる漁法でまあ予想できる方法である。

ところが、九州のおじいちゃんの鰻とりが面白い。
 川に入って、川の中に大小の石でやぐらを組む。1週間位放置しておいてから再度川に行って、石を剥がしていくと、石の間に鰻が住んでいるので、それを捕まえる。
 1週間かけて一匹の鰻であるが、まさに住処を与えて捕まえる方法である。

東北のおじいちゃんも住処を与えて捕まえる。
 このおじいちゃん、まず笹を切って、その笹の葉を束にするーこれを住処にしようという作戦である。
 笹束を2~3メートル間隔で何束も水面に吊るして入れておく。2~3日後に笹束を上げると、小さな海老が笹葉の住処の中に集まっている。
 そこで住処である笹の葉をそのままそっと上げる。

この鰻櫓漁法も笹束漁法も、住処を提供して、そこに住みこんだところで捕まえる方式だ。
 先輩が言われた住処を提供する漁法というのは、このような小規模な話ではないが、でも原理的には通ずるものがあって面白かった。

徒歩鵜飼というのもあった。
 船に乗らずに、一人で一匹の鵜を遣う。左手に鵜、右手に松明を持ち、川を歩きながら鵜を遣って鮎をとる。
 松明は水面近くに照らすと鮎が驚き泳ぎが緩くなり、それを鵜が捕まえる。鵜が5匹前後捕まえたところで、口から戻して人間のものにする。

動物を使う漁法でも、実際の動物でなく、皮を使うイタチ追い漁というのがあった。
 四万十川の漁で、イタチの皮を使う。川の一定の広さに網を張り、そこにイタチの革を水中で動かす。そこに住んでいるウグイは、イタチが川に入って来たと思ってびっくりして動き回る。そこで網を上げる。

同じ騙す方法でも、雌の鮭を使って騙す漁法もある。
 川の中に網を丸く水底から浮かして張り、そこに産卵期のメスの鮭を入れておく。メスがいるとばかり近づいてくるオス鮭が来ればー鮭が来れば鈴がなるー網を落として、捕まえる。
異性関係理論の漁法への応用だ。

捕まるのはオスばかり。
何だかオスのバカさが利用されているのが気になるところである。


暑い。

もう、ボチボチこの記録も終わっても良い頃だ。

本当はキリスト教と魚について少し勉強して書きたいのだが(キリストの弟子には漁師がいたりするし、ギリシャ正教のマークも魚のマークだし、この辺りを少しみてみると、面白そうだが、これ以上続けると、このメモは後1年位は終わりそうにない)。

そこで、暑いついでに、魚と季節について書いて終わろう。


魚にも最近は季節感がなくなったきたが、俳句の世界では魚は独自の季節感を保っている。
魚に限らず、海の関係、海産物などで季語を見てみよう。

潮干狩、磯遊び、若布(わかめ)、蜆(しじみ)、蛤、目刺し、白魚、若鮎、鰊、花見鯛などが春の季語。
 春には、潮干狩、磯遊び、観潮、花見(観桜)、野遊びと、閉ざされた忍耐の生活からの開放の季語がある。

我々は、そんな春になっても、都会の世界の中に埋没して、久しく春の解放感に浸ったこともない。
 そうだ、来春の神田会は「野遊び」にしよう。

夏の季語をみてみると、
飛魚、蟹、鰹、船料理、握鮨、ヤマメ、鮎
この飛魚が夏なんてのは余りピンとこないが、鮎の夏は分かる。
鮎が清流を泳いでいる一幅の画を思い浮かべるだけで涼風が吹き抜けた爽やかな感覚になる。
 夏だ。

秋刀魚、鮭は秋。
 私は魚は余りすきでないが、それでも油の乗ったさんまはうまい。
 鮎も秋の季語となると落鮎(おちあゆ)・下り鮎となり、秋のあわれが感じられる。

冬になると鍋の季節。
 河豚、あんこう、鱈、牡蠣と聞くだけでも、腹が減ってきそうだ。熱燗(あつかん)というのも当然ながら冬の季語。
 また、明太子とか荒巻、海鼠(なまこ)、それに寒鯉(かんごい)、煮凍(にこごり)なんて季語もある。

犬養道子さんの本を読むと、ヨーロッパではキリスト教の行事により、生活にリズムがあるという。
クリスマスで生誕を祝い、その後は冬の季節もありキリストの犠牲を想い静かな日々を送り、復活祭には春の喜びと共に復活を祝う。
 復活祭の後にどういう行事があったのかは失念したが、1年間がキリスト教の行事で季節と共に生活のリズムが自然に生まれてくる、と言う。

しかし、この生活のリズムも日本だって、かつてはあった。

みんな季節と共に生活をしていたのだから。
盆もあったし正月もあったし、彼岸だってあった。
我々は、どうして、そんな生活のリズムを失ってしまったのだろうか。

こんなことを書いていると、魚の話は到底終わりそうにない。
魚だけでも、我々は季節と共に生きていたことを想い、そして我々の日常を考え直せば、これでよいのだ。


ところで、神田会のこの日の寄り合いの最後には、魚の漢字テストをした。
そして商品は佐藤先輩の用意してくれたお土産が皆よりたくさん貰えた。

私が会場に着いた時に、既に座敷の隅に佐藤先輩が用意して呉れたお土産用の「昆布だし」が並べられていた。

やった!さすが、先輩。と感激である。
先輩、ありがとうございました。

「高高神田会なんて訳の分からない会合で遅くなって、しょうがないわね」なんて奥様方に言われている我が会の男性諸君にとってみれば、奥さんにたまには面目が施せるというものだ。

奥様にこのようにボヤかれているなら未だ良いが、
「高高神田会だろうが何だろうが好きなようにやってらっしゃい」
と、もはや諦めかけられ、自由放任主義下の家庭生活を送っている我が会の男性諸氏にとってもこの土産さえあれば、「うちの旦那もたまには役に立つ」と喜ばれるに違いない。

これを第1回に話題になった川柳風に詠めば

粗大ごみ たまには土産を 持ちかえり

となる。
と、何だか分からないうちに、魚について色々と書いてきたが、今日は土用丑の日。
 うなぎは食ったし、NHKでの漁法番組も見たし、この記録も長くなったので、終わりにしよう。


(おまけ)
おまけに、魚を含む言葉を少しみてお終いにしたい。

「鯖を読む」
鯖、鰯を早く読んで数をゴマカスから来ている説もあるが、SATTVAHARA (生飯) からきている説、干鯖は2枚で1枚なので、ここから来ているという説もある。

「やもめ」
 やもめの語源は「屋守男・屋守女」というのは、少し当て字風で嘘っぽい。
 この「やもめ」は渓流の山女魚(やまめ)から来ている。ヤマメは一匹で泳いでいる。
 なんていう語源は、余りにも尤もらしいので疑わしいが。

「ずぼら」
 これはボラからきているのかと思っていたら、ボウズからきている(逆読み)という説明があったが、これは本当かなー。

「やたら」
 いや鱈がたくさんとれる、というのが語源。
  というのが一番もっともらしいが、本当は梵語ヤターラ(夜多羅)ー早く踏む拍子ーという言葉からきたのが本当らしい。

「あんぽんたん」
 江戸時代に売られたまずい魚から来たという考えと、長崎から生まれた言葉で語源としては南の島名からきているという説があるらしいが、あなたはどちらに賛成します?

ー馬鹿者、どっちでも良いよ、あんぼんたん、なんて先輩に言われそうだが。

「烏賊」
 イカという漢字を烏賊と書く。
 これはイカが海上に浮くと烏(カラス) がつつきにきて、そこを掴んで海に引き込み食べる。
 だからイカは烏の賊なのだ。
 これは凄いよね。

「イカサマ」
 これは、イカに関係あるのか。語源をみて見ると、烏賊のスミで証文を書くと1年で消えることから、この言葉が生まれたということらしい。
 まだ、私はこれを試していないので、本当かどうかは分からない。


 これでおまけがお終いにしようと思うが、どうもデタラメが過ぎたようであるので、ここで、この「デタラメ」の語源を見てみよう。

 漢字で書くと「出鱈目」。きっと鱈に関係があるはずだ。
 この言葉は、目の出た鱈はうまい、ということからきている。
と言う説がある一方、それこそがデタラメという反論があるそうだ。
 「出た目次第」というのが語源という有力説もあるらしい。
 結局、出鱈目だけに全ての説がデタラメらしい。

 私の説を紹介しよう。

 明治中頃の讃岐の風景を思い浮かべて欲しい。
ある男が美味い麺を食わせるという。
 当然、うどんだと思って期待して待っていると出てきたのはラーメンだった。
 なんだ、この野郎。
 デタのはラーメン。
 デタラーメン。
 デタラメ。

お後がヨロシイようで。


高高神田会の会員の皆様、暑いなんてボヤいてないで、どこか川か海に行って風に吹かれながら、魚のことでも考えてみては如何ですか。

では8月29日に再会しましょう。
 その時には、皆様の魚の知識と知恵が増えていますように。
と祈りつつ、第2回寄合記を終えたい。