平成7年11月17日
於: 神田 小倉屋

時は 平成7年 霜月 十余り七日
晩秋の夕闇の中 三々五々と怪しき姿 集まれり
江戸の神田は小川町
天麩羅屋 小倉屋の奥座敷
集まりし 者共の 言葉を聞けば 江戸弁が少々混じっているが 讃岐訛りが聞いてとれる
 14名の健児に2名の乙女 ここに集い
高々神田会なる会合のスタートである

第1回の会合は、
久保先輩(27年卒)の
創立記念特別講演
「太陽と緑と命の不確かだが不思議な関係」
である。

「太陽の活動が人間生活に影響を与えていると公表されたのが、1847年の英国物理科学者H.クラークのフィジカルエコノミーである」
という言葉で久保先輩の話は始まった。

太陽黒点の数は人間活動に、そして当然のことながら景気にも影響を及ぼすという。
久保先輩の話は、太陽の黒点の推移表、歴史事象の資料を参照されつつ、進んでいく。

皆んな成程と感心しながら聞いてはいるが、本当に得心がいっているかと言うと、どうも、みんな多くは半信半疑でいるようでもある。
なんてたって聞いている者の殆どは、講演者の後輩である。
第1回の会合でもあるし、先輩の話でもあるから、とりあえずは、調子をあわせながら銚子を運んでいるのが実情である。
不謹慎ではあるが、先輩の話は食事をしながら聞いたのだ。

外部から招聘したような講師ならば、こんな失礼なことはできないが、この同じ母校の仲間ということで、このようなことを許して貰っている。
この気楽さが我々の会の良いところである。
と取り敢えず自画自賛しておくことにする。

聴衆が分かったような分からぬ顔をしているので、急遽理科系の出身者を確認すると、喜岡先生(37卒、理科大)を除けば、みんな文化系である。更に経済学を専攻した者もそれ程多くはなさそうである。
第1回会合なので、互いに十分には知らず、遠慮もあるし、とりあえず分かったような顔をしながら聞いていくしか仕方ない。
智に働けば角がたつ、とかく住みにくい世間をわたるには鬼を避けてサケを呑むのが一番、と漱石も言っている事だし。

久保先輩の話は続く。

コンドラチェフの景気循環論(55年周期の景気循環説)、グズネッツサイクル(22年周期説)、ジュグラーサイクル(7~12年説)、キッチンサイクル(在庫調整による3.5年周期説)が紹介される。
最後の説とエルニーニョ現象(3.5年周期で起こる)との関連、シュンペーターのオーストリアの複合循環論(55年、11年、3.5年が複合的に循環する)も紹介される。

太陽黒点数の動きのグラフと米国工業生産指数のグラフを重ねるとその波が奇妙に一致している。
1700年から最近までの太陽黒点数の表を貰って、見てみる。
最近では1986年前後が13から29なのに、1989年からは3桁になり、1989年には157、1990年には146と活動が激しくなり、バブルに重なる。
1992年からは再び2桁となった黒点は昨年は26、今年は23と低調である。
こうして見ると、本当に関連性があるのだ、と感心してしまう。

久保先輩の話は、いつもそうだが何だか説得力がある。
それでいて、一面では、どこかで何かゴマかされたのでないかという感覚が残る。
団体交渉で経営者側を、ともかく、なんだか分からないうちに説得してきた、そんな場数を踏んだ話術である。
だから、我々のようなウブな者が、ころっとゴマかされても当然のことで、なんらの不思議でもない。

例えば、この講演の後の呑み会での久保先輩の話。

曰く:人間は自分の体温よりも高い温度の動物を食ってはならない!
こう断定されると、そうか、という気持ちになる。

これがいい加減な男の発言だと、本当にそうなのか、なんて疑うことになるのだが、久保先輩に断定されると、うん、そうかなという気になりつつも若干の疑いを持たないではない状況になる。

久保先輩の話は、ここでは終わらない。更に追い打ちがかかってくる。
「そうだよ、豚の体温は・・度で、牛は何度だ・・・」と具体的なデータがでてくる。
これがポイントなのだ。
これは日本の伝統話術なのだ。

香具師の話術が、人を引きつけるのは、まず人が集まったところで、とんでもないことを言う。そこで、人を驚かせて、それを信じるかどうか悩んでいるところに、更に追い打ちをかける。
そこで、我々は、つい信じてしまう。集団催眠みたいなものだ。
久保先輩の話も我々は簡単に信じてしまう。
尊師の言葉を聞く信徒みたいなものだ。
そうだ、今度からは、久保先輩を尊師と呼ぶことにしよう。

久保語録を続けてみよう。
「キリンは血圧が高い。350位はあるよ」と言う。
えっ、キリンには血圧があるの、動物だからあるんだろうなあ、でも本当に血圧が高いの? 350なの?

と思う間もなく先輩からは、追い打ちがかかる。
「そうだよ。そんなんだよ」との念押しである。
ここまで念を押されると、折角抱いた疑問がぐらついてくる。
そのぐらついた所に、更に、先輩の話は続く。
「だって、そうだろう。きりんは、あれだけ首が長いのだから、血圧が高くないと頭に血が昇らないだろう」
これで我々は、完全にノックアウトである!!
ああ、そうなんだ、確かに首が長いもんなぁ、と納得してしまう。

食塩の話もある。
「昔の塩田で作った塩は、或る栄養素(勿論、久保先輩はこの栄養素の具体的な名前を言っているのだが、筆記者の方が追いつけない)があるが、最近の塩は塩水から作らないから、それがない。
 まして減塩とかするから、尚更だ。だから、アトピーなんかになるのだ。自分は特殊な塩を購入して食っているから大丈夫だ」と。

その何とかの栄養素というのが、本当にアトピーと関係があるのかどうか、海水からとらないと、本当にそうなのか、と言うような疑問は、簡単に否定して断言する。

その話術には、昔懐かしい塩田の話が入ってくる。
 そうだ、そう言えば、塩田でおっさんが、タンボで作業するように、何かやっていたなあ、なんて塩田のシーンを思い出させる。
それを思い出させられたら、もはや、先輩の話術の掌に乗ったようなものだ。

我々がその気になったところで、 その塩を皆んなに見せてくれる。

「本当にそうなんだよ。実は、今日は私は偶々、その塩をもっている。本日は、余り手持ちがないが、今日は、高々の後輩諸君だから特に安く分けてあげよう。デパートに行けば本当は3000円だが今日は特別で皆様だけには特に2000円でお譲りしよう」なんてことを続けて言えば、全員がつい買ってしまいそうな気分になってしまう程だ。

勿論、久保先輩はそんなことは言わない。
先輩は、経営者はゴマかしても、後輩から金をとろうなんてケチなことはしない。
心優しく、後輩にその貴重な食塩をプレゼントした。

と言うことで、今日は久保先輩の講演が中心で、太陽黒点の話が終わったのであるが、皆んなが本当に感心したのは、先輩のノートを見たときである。

そのノートには、細かい小さい字で毎日の太陽黒点の数と主要な出来事が書かれているのだ(いやー、実に小さい字で、遠視の人には絶対に読めないような字で、しかも、びっしりと書かれているのだ)。

先輩の話を聞いていて、どうも何かどこかでゴマかされるのでないかと思っていた我々も、このノートを見て、ともかく先輩が本気で太陽黒点と取り組んでいることは確かであり、そうだとすると、やはり何か太陽黒点と景気とか人間の活動は関係があるのだろうという結論に達した。

という、不確かだが不思議な話を聞いた後、雑談に入った。

天麩羅を食い、酒を呑み、気分が乗ってきたところで自己紹介をしていった。
一番若い出席者は51年卒の松永君。一番上は、27年卒の5人衆。
その間にほぼ四半世紀の隔たりがある。
高々の歴史の一部が凝縮した場でもある。

松永君は、三井海上火災で新種の保険を考えている。
新種の保険などを考えるのだから当然若くなくては勤まらない。
ところで、三井海上火災はニコライ堂から小川町の交差点に行く途中の高層ビルであ る。ここには、今回は欠席になったが数人の同窓生がいる。
多分、それらの先輩から彼は「今回神田会と言う会の案内がきたが、何だか訳の分からない会だから、一番後輩のお前が偵察に行って見てこい」と言われて来たのでないだろうか。
勿論、彼は、そんなことは、先輩を庇って言いはしないが。

次に若いのが49年卒の岩崎君(東和証券)。
彼の仕事は総合企画である。彼は、この間まで三和銀行の神田支店にいて、この天麩羅屋も彼の紹介である。このようなことで、彼は神田会の準構成員として参加している(因みに、神田会は、取り敢えずは、神田に勤務している者を中心に集まっているが、神田以外の者でも何かの拍子で参加することになっている者もいて、それは一応準構成員と称することにしているーと言っても私が勝手にそう言っているだけであるが)。
岩崎君は、会費の一部を集めて、三和銀行に預金を開始して早速「経理」を買ってでてくれている。
神田会では役員なんてものは、いないので、彼が、唯一の役員である(若いのに偉いのだ)。

次に若さを誇るのが47年卒の堀本君である。
大きな体で新日鉄の開発事業部の企画調整室にいる。
こうして見てくると若い諸君は皆んな企画関係をやっている。
さすが高々である、頭で勝負をしている。

堀本君の場合に少し気になるとすれば、企画調整という「調整」の部分である。
彼の場合には、相当な酒豪と聞いているので、酒を呑みながらの調整をやっているのだろうか。
彼は平成8年の東京玉翠会の担当幹事の47年卒の代表である。新日鉄は大手町であるが呑み会ならば是非とも参加したい、と本人からの要望があったので、特に準構成員として認められて参加している。

47年卒には、女性代表として池田恵子さんが出席した。
池田さんは、セナミ産業という会社の中心人物として活躍している(セナミと言う名前は、裏千家の人のプロモーションをしているので千阿弥ーSENAMIということらし い)。彼女は近く独立して会社を設立して神田方面に来る予定であるので、会に参加した。

ところで香川県でイケダといえば、池田酒造であるが、彼女は池田酒造の本家の一人娘(*) である。
*実は、この点は、どうせ言うなら、本家の方がかっこ良いし、娘というより一人娘と言った方が何か語呂が良いので、こう言っているが、本当かどうかは知らない。

何たって、この会の創立記念講演にしてからが「不確かな不思議な関係」というのだから、この会の記録だって、不確かな不思議な記録が一番ふさわしい、と勝手に決めた上で、このイイカゲンな記録を作っているのだから。ともかく極めて無責任だという批判があるであろうが、こんなものに責任云々がある訳がなく、そもそもが、非責任なのだ。

 ということでともかく記録を続けたい。

この池田酒造の話がでると、会は一挙に盛り上がった。
私の同級生に池田というのがいたが? ああ、それは従兄弟です。
といった話があちこちから起こってくる。

皆んなの自己紹介では、このように小学校とか中学校とか、田舎の地名がでてくると、それは近所だとか、ああ、あの橋の側のたばこ屋の娘が番茶も出花だったとか、そこに同級生とか、共通の知り合いを見つけたりと、思わぬ展開をする。
 その度に盛り上がる。

言うならば、これこそが、不確かだが不思議な関係である。
これは田舎者の集まりの醍醐味でもある。
もう少し最もらしく言えば「故郷を持つ者の特権」でもある。
ともかく盛り上がるものだ。

続いて46年卒の河野君。
住友商事で石油を扱っている。彼は、「先程の池田さんが独身だと言うことですが、実は私・・・」と始めた。会場が色めきたった。
 早くもこの会でカップル誕生か。久保先輩が仲人で、結婚式場は佐々木さん(43年卒)のホテルニューオータニでと算段をし始める勢いである。
しかし、彼には、嫁さんもいて、子供までおるんやと。何のこっちゃ。
人騒がせなやっちゃ。

次は、45年卒の川田君。
大林組で経理をやっていて、現在は神田のオークエンジニアーズという会社にいる。
大川町出身である。
阪大経済卒であるから、今日の景気循環論については、唯一、理論的な論駁ができる者である。しかし、彼は謙虚な紳士である。先輩の理論に何らケチをつけずに静かに微笑むばかりである。偉い。

43年卒を代表して出席したのは、ホテルニューオータニの佐々木君である。
彼は、団塊の世代の勉強グループを主宰していて、今年の高々の会誌に参加者の募集をしていた(その結果、数人の参加があったそうである)。
彼は、山屋さんだそうだ。
 山屋さんと言っても、別に山を売っている訳ではない。山登りが趣味で、日本100名山のうちの23の山を踏破しているそうである。
残りの方が多いではないか、と言ったら、これからの楽しみです、と言いながら、酒を手酌で飲んでいた。
 そうなのだ。この酒を減らせば山ももう少し沢山登れるのに。
でも、趣味だから、人がとやかく言ってもしょうがない。まあ、酒も呑んで、山にも登って、仕事も楽しんで、まあ好きなようにやっていたぁー、と言うしかない。

42年卒の入江君も呑み助である。
何と言ったって、渡辺先輩(31年卒)の店(池袋の高々卒業生の特別ご用達スナック・アイビー)でボトルを置いてある程である。
(そうだ、ここでイイ事を思いついたぞ。この記録にアイビーの広告を勝手に入れて、今度の会合の二次会はタダで酒を呑もう。この記録の後ろの広告を参照)。
入江君は、丸ビルの清住産業で取締役を昼寝しながら努めて、夜は呑屋で真面目に仕事をしているという程である。彼が偉いのは、呑み会ならば必ず出席するということであ る。
しかも、今回は、麗しき女性と同伴である。

その同伴された女性とは同級生の林小夜子さんである。
彼女は日本火災に勤務しており、旦那さんは札幌ビールに勤務している。住所は蕨だそうだ、
と私のメモに書いてある。
実は、これを書いている時点で、私の脳細胞の記憶装置はすでに壊れているので覚えていない。ただ、メモを見ながら、多分、そうだろう。とイイカゲンな記録を続けている。何せ、これは不確かだが不思議な記録なのだ。

この会が終わった後、私は入江さんと林さんとでアイビーの渡辺先輩に挨拶に行った。

渡辺先輩は、この会に参加すると言っていたのだが、私が案内を出すのを遠慮した(金曜日なので店が忙しいはずと思ったので)。
でも考えてみると、案内だけは出した方が良かったのでないかと反省し、お詫び方々呑みに行ったのである。

ところが、このアイビーには偶々客として高々の先輩(渡辺さんの同級生だから31年卒)がいて、この二人の同級生コンビが酔って男同士でチークダンスをしたりする始末で、結局夜中の2時頃まで呑んでしまった。
 偉いのは林さんで、この夜中の2時まで付き合い、渡辺先輩のチークダンスの目撃証人にもなってしまった。

私の当日のメモによると、入江さんと林さんの名前のところに、
「粗大ゴミ 朝出たはずが 夜帰り」という川柳が書かれている。
これは、入江さんのことを奥さんが言ったのか、誰かが、何かのついでに言ったのは分からない。でも、うまい川柳だなあ。
皆で大笑いした。

でも、男の権威はどこに行ったのだろうか。
男は本来弱いものである。だからこそ男に少し権威をつけることによって、世の中のバランスを取っていたのに。この日本の英知は、どこに行ったのだろうか。
最近は本当に女が元気で、もはや女の時代がそこまで来てしまっている。
我々は男社会ーという幻想の社会ーの最後の世代になりつつあるのだ。

そうだ。自己紹介をしていたのだ。

37年卒は私と喜岡が出席した。
喜岡は理科大での授業をサボって出席だ(生徒がズル休みするのはサボると言うが、教える方の場合もサボるって言うのかな?)。
 偉い、と言って良いのか。しょうがないやっちゃ、と言うべきか。
 でも偉いよな。

33年卒は玉翠会の事務局長の大西先生である(大西先輩は弁護士なので、つい先生と呼んでしまう)。
大西先生の話は、玉翠会の歴史に触れて、高中、晩翠との合同の苦労話、玉翠会の苦労話があり、格調高い。また、玉翠会の夢を語る。
 玉翠会で、同窓会会館をもちたい、いつ行っても同窓生に会えるような場所が欲しい、と。
偉いなあー。母校や母校の仲間のことを考えている。さすが我等の局長だ。
私のように、ぼーとしているのとは偉い違いや。見習わなくっちゃ。

次は27年卒の5人衆である。
既に登場した久保先輩、そして佐藤哲男、林正慶、宮本博光、吉田正の各先輩である。
27年にはこの他にも工藤先輩が神田錦町にいて本日も出席の予定であったが突然の仕事で欠席となり、事前にわざわざ電話連絡を頂いた。実に同学年が6人もいるというのは凄い。
ここで27年卒の先輩の自己紹介があった。

(実は、ここで告白をしなければならないのだが、この報告書は、この会の後で、時々思い出しては暇を見つけて書いてきたのだが、現時点で既に1月以上過ぎていて、私の記憶装置には、もはやその時のフアイルは全く見つからない状況になっている。)
僅かにその日に書いたメモらしきものがあるだけだ。
しかも、折角のメモの意味も分からなくなってきている。

宮本先輩のところには、ポンプさんと書かれている。
微かな記憶では、どう言う訳か、宮本先輩は「ポンプさん」と呼ばれていたらしい。
「新宿5丁目呼び込み」というメモがあるところをみると宮本先輩は呼び込みまでやっていたということらしい。歯医者さんの前歴としては面白い。
 33年大卒というメモを見ると、先輩は呼び込み稼業で忙しかったのか33年に大学を卒業したということなのだろうか。

吉田先輩のところには「20.7.10空う 紫雲山」というメモがある。
まるでクイズの様な記載である。
その日は先輩の子供時代の話もあり空襲の話とか、紫雲山に逃げたとかの話があった。
それから推察すると、昭和20年7月10日が高松の大空襲があり、吉田先輩らは、紫雲山に逃げたということだったのだろう。
 同じ仲間で空襲でなくなったとか、まさに人生の厳しさ、人生の不思議さが語られ、私のように若い者には(と、このような時には、私も突然若い方の仲間入りをしてしまうのだ)大変貴重な話であった。

吉田先輩は水産大学をでて、全漁連に入り、漁業一筋で、最近は(財)日本シルバーボランティアズで中国派遣の仕事をしている。
 色々話をしていて、次回の講師として吉田先輩から魚の話を聞きたいということで出席者の意見が一致した。

考えてみれば、漁業というのは農業、牧畜と並んで人類の三大食料確保手段の一つである。漁業を理解せずして人間の歴史は理解できない。また、日本は農耕民族といわれるが、漁業民族の文化だって重要だ。

 今や世界中の魚を漁獲している日本。しかし、我々は実際には漁業も魚のこともよくは分かっていない。吉田先輩から、色々なことを教えて貰って、神田のひとときに世界の歴史を考えてみるのも面白いと、今から楽しみだ。

林正慶先輩のところには、安田火災と記載がある。
 林先輩は、安田火災から現在の日本機械保険連盟に移られたのだと思う。ここまではメモで推測できたのだが、そのところに「百人一首」という記載があるが、これが何かはよくは分からない。
これは一体なんなのだ?
 先輩、どうもすみません。今度、会ったときに教えて下さい。

佐藤哲男先輩は、現在永楽産業という会社の社長をしているが、この会社は、私の事務所の斜め前で、私の部屋から社長室が丁度よく見える。
 私は、これからは、先輩の行動が監視できる立場になっているのだ。
こんなことも近所の集まりの面白いところである。
先輩のところのメモには「コンブ醤油」という記載がある。
これは何だっけ?

そう言えば、久保先輩が次回には皆にお土産をもってきてくれるぞ、なんて言っていたぞ。
 それは、これだな。うん。そうに違いない。
私も、何か物が貰えるということはキチンと思い出せるようだ(人間、耄碌しても、欲だけは耄碌しないことの一つの例証だ)が何を貰えるのかをキチンと覚えていないところが、やはり耄碌しているのだ(この程度の耄碌でよかった。もし、私の耄碌がもう少し進むと、そう言えば、久保先輩が特製の塩をくれるとも言っていたとか、そう言えば、キリンの肉ももってきてくれると言っていたなんて言いはじめるに違いない)。
いずれにせよ、次回には何か貰えるのは間違いない(と書いて暗に催促しておこう)。

このようにして、次回の講師も決まり、お土産までも決まったところで、記念すべき第1回高々神田会の盛大な会合が終わったのであります。
ということで、この不確かでいい加減な記録もお終いである。

*盛り上がった会なのに、その盛り上がり振りが描写できていないのは、その盛り上がりを忘れた頃に、メモなどを見ながら記録を作成した為であり、誠に申し訳ありません。
また、間違いがあると思いますが、何たって不確かな記録ということで、話半分位でお読みください。

ーいやあ、疲れた。
もう今度からは、記録はつけないでおこう。
37卒 岡崎 記

なに、読む方だって疲れるって。
まあ、元気だして、また集まっていたーよ。
そして、この不確かだが不思議な会合をずっと続けましょう。