昭和36年に徳島大学に入学以後、高松高等学校からの新入生歓迎会が数年行われていた。しかし、いつとなく立ち消え、その後いわゆる混乱期を過ぎて海外生活が5年余りとなったため、高松高等学校とはほぼ無縁になった。

十数年前、現職について間もなく、徳島大学医学部高松高等学校会なる名簿が送られ、知らぬ間に顧問になっていた。
その立場上、新入生歓迎(卒業)会に出席し始めた。
初会の出席以来、前会長(磯部淳一氏)私および新入生だけという寂しい会が続いている。
磯部氏が他界され、私が後任となってから数年になる。名簿によると学内外で282名いるが、新入生歓迎会等には毎年10名前後の参加である。

徳島大学医学部には母体となる同窓会(青藍会)がある。
すでに50年以上になるので、総数4000名以上の組織であるが、年次総会に出席数が100名にも満たない。

1992年にJICA(現国際協力機構)からガーナに2か月余派遣され、帰国。間もなくJICA帰国専門家徳島県連絡会が設立された。
現在40数名余の任意団体で、数年前に会の代表幹事とされた。総会や行事を開いても数名集まればいい。予算執行を2名前後で行う状態で、その負担は大きい。

本徳島玉翠会の会員数は現在400名余りであるが、住所や電話番号など現状と異なる者が多い。
現渡邊謙会長になってから、名簿の整理や総会の開催などを精力的にされているが、人集めに苦労されている。

これら同窓会や類似組織は会員数の大小と無関係に存亡の危機にあるようだ。
理由として、1)会合に魅力がない、2)会費云々、3)時間的余裕がない、4)参加する意義の有無、5)名簿の不備で案内がない、6)その他。
とどの詰まり、これらの悪循環である。

会員が考えるのは、会に参加する意義であろうか?
意義というより、会費の有無とは別に、会員が参加することにより受ける利害であろう。つまり「費用対効果」ではなかろうか。

私も3年前に徳島玉翠会副会長を依頼され、「何もしない」という条件の下お引き受けした。
熱心な渡漫会長のお誘いにほだされ、総会や役員会には出席した。
パソコンについての知識と経験から種々助言してきたが、時代のギャップの中、未だ本会は存亡の危機にあるようだ。

2週間ほど前に本原稿を依頼され、参考までに東京王翠会の会誌を拝見して、やはりと感じた。組織、会費、名簿、総会出席者数にも格段の差がある。地方と中央の2分極化の現れだ。
都市圏にあっては、いわゆるIT(情報技術)による名簿の整理、連絡などが十分に行われ、会に参加することによる情報交換が日々の生活に役立つのだろう。
雑踏の中の企業戦士として同郷精神が強くなるのかもしれない。

この原稿を仕上げている時にある報道に出会った。
東京の企業では社員の机がない。毎日社内で空いている机を利用しパソコンと電話で仕事をし、営業マンは直接会社へは出勤せず、携詐電話とパソコンで外回りをして自宅へ帰り、業績報告一本で評価される。
自宅も会社の一部なのか。そうなると、企業戦士には「居場所」がなくなるだろう。
唯一「おいこら」がまかり通る「居場所」は同窓会なのかも?
一方、地方では物理的また人間社会的理由からくるITの不備とその必要性、ひいては同郷精神も乏しくなる。

もう一つ注目すべきは世代間の差であろう。
50歳代以上は縦糸で、30歳代以下は横糸で結ばれ、その間の世代は両者に属さず、無関心。地方ではこれでも何ら支障がない。
Web(インターネット)とは、蜘蛛の巣にみられる糸の網である。パソコンはそれを活用している。
年代を、男女を、物理的距離を越えてのネットワークである。今後の同窓会はこのネットワークを活用してこそ、東京のような組織となりえるだろう。

最後に同窓会の意義とはなんだろう。
同じ釜の飯を食べた「おいこら」が通る人(PCでなく)のつながりの世界ではなかろうか。
このつながりは「費用対効果」では代償できず、歳とともに大きくなり、家族を取り巻く内堀とも言えるのでは。
インターネットを活用していると外堀と内堀の区別がつかなくなる。
急速に自由や車が入った社会、急速に老齢化した社会では新たな秩序がいまだ構築されていないのと同じである。
これは地方において顕著でありヽ新たな秩序ができるまでには、わが徳島玉翠会にも時間と辛抱が必要なのかも知れない。
同窓会が青春の思い出を語る「いやし」の場となることを願い集まってくるような会になれぱと念じている。

徳島玉翠会副会長 太田 房雄(昭和36年卒) 
(国立大学法人)徳島大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部
生体システム栄養科学部門栄養医科学講座
予防環境栄養学分野(教授)