筆者近影

徳島玉翠会会長 渡邊謙(昭和33年卒)

昨年、初めて東京の玉翠会総会に参加させて頂きました。
貴会に属する兄と妹からその噂を聞いていましたから、ある程度想像がついてはいたのですが、いざ参加してみると「聞きしに優る超大規模」ぶりに改めて呆然自若の念に襲われました。

まず徳島の参加者の約25倍という大人数を誇ること。
私の卒業年次のグループのテーブルが後方に位置していたせいもあって、最初のセレモニーが終って仲間たちに会いに行ったところ、40人も居たのに誰一人として壇上の私に気付いていませんでした。
「えっ、謙ちゃん来ていたの?」
「『来ていたの』じゃないだろ。わざわざ遠い徳島から高い交通費を払って来てるんだから、来賓の顔くらい見てくれよ。」

挨拶に立った方々をはじめ、壇上の面々の顔を認識してくれなかった理由は、場所が遠かったからだけではないようです。開始時間が来て広い会場に招き入れられたときには、全体にもうアルコールが入っていて盛り上がっていました。

改まって誰が挨拶しようと聞く耳を持たないゾといった雰囲気なのです。聞いていたのは最前列に位置したわずかぱかりのテーブルだけでした。

こんなふうに述べるといやみを言っているように感じられるかも知れませんが、決してそうではありません。
千人という大規模パーティーとなると、静まり返って傾聴している姿を想像する方がおかしいです。
しゃべる側もわきまえたもので、「聞く人だけ聞いてくれたらそれでよい」と言わんばかりの表情で、淡々とスピーチをしていました。うまくできたものだと、感心しました。

そんなわけで、代表挨拶が終るや否や、同級生たちの集まっているテーブルに駆け寄ると、そこには懐かしの顔ぶれが約40人もいました。中には高高を卒業して以来、初めてという友達に会うこともできました。
しばらく旧友同士での話題を温めた後、今度は各テーブルを越えた話合いが始まりました。2級先輩の兄は高校時代に柔道部と自治会に属していた関係上、同一学年だけでなく、上下関係でも顔が広く、私を知っている人たちを何人も連れてきてくれました。
『東京へ来てよかった!』とつくづく思いました。

さて、それから4ヵ月後の11月17目に、徳島玉翠会を徳島駅ビル内のホテルクレメントで開催しました。
出席者数は38名。
その中には本部高松からのご来賓と県外からの「助っ人」計9名も含んでいますから、県内の会員は29名に過ぎません。
この違いは対照的です。

本部の会長や校長のご挨拶にも静かに耳を傾けてくれたのをはじめ、パーティー途中でのスピーチに対してまでも、会話を中断して聞き入ってくれました。
しかもお焼香のような静けさではなく、はるぱる大阪からやって来てくれた司会者植村登君が矢継ぎ早に繰り出す軽妙なジョークに、笑いや拍手で応答。
その夜、同君が我が家に立ち寄ってくれての『飲み直し会』でも興奮さめやらず、「オレもずいぶん司会をやってきたけれど、今日のが最高だったなァ」としみじみ満足げに振返りました。

東京VS徳島、「マクロ」と「ミクロ」の好対照の同窓会を経験して、どちらがよかっと軍配を上げる気はありません。
大規模の東京パーティーでは、同級生だけの『二次会』がセットになって、はじめて息の通った『同窓会』が演出されたのに対し、小規模の徳島では、同じホテルの別室で、ほぼ同じ顔ぶれによる『二次会』で即座に反省会が行われました。

このように地域差はありながらも、それぞれの長所を活かしながら、楽しくて有意義な同窓会が長く続くことを念じつつ、東京玉翠会へのエールといたします。