岡山玉翠会は、昭和54年に東京・関西玉翠会に続いて全国第3番目の支部として発足いたしました。
 初代会長は篠原清彦(昭和6年卒業)先生でした。
 当時、既に活発に活動していた香川県人会に参加していた母校の先輩達が相談して、岡山にも大勢の同窓生がいるのだから支部を作ろうじゃないかということになり、創立の準備に取り掛かりました。

 それはあわただしい作業でした。まず、本部発行に会員名簿から岡山関係の人を探し出して住所、氏名そして電話番号を確認しながらの往復はがきの宛名書きでした。その総数は500枚くらいはあったと記憶していますが、数人の世話係の人が夜遅くまでがんばりました。初めての試みであり、はたして何人くらいの方が集まるか心配いたしました。

もちろん、創立総会の開催月日、開催場所等は事前に母校の松野先生と玉翠会本部に何回かの打ち合わせと、お願いをして決定していましたので、返信はがきの到着を待つばかりです。
 問い合わせは沢山ありましたが、総会への参加の返事は少なく、世話係の人には度々集まって頂き、欠席通知の方に電話と手紙で一人ひとりに出席してくれるようにお願いして、何とか約60名により11月25日に、創立総会を無事開催することができました。

 懇親会では卒業以来、何十年ぶりかに始めて再会した人たち、『大手術で何度か死線をさまよったが、おかげで元気になったんで…』、『それはよかったなぁ』と、周囲を気にしない讃岐弁の輪がいくつもできて、予定の時間を大幅にオーバーしました。
 最後に高中・県女・高高の校歌を高らかに合唱してお開きになりました。

 総会で選出された役員と卒業年度別に決められた幹事による反省会では、開催準備は大変であったが、出席した人がみんな、『来て、楽しかった。次回は欠席した同級生を誘いたいが、いつになるか』と、いう声が多かったので、総会は毎年開催することと、篠原会長の提案で、機関紙の発行が決められました。

 総会は、毎年10月か11月に開催していますが、本州と四国は瀬戸大橋で結ばれ、高松岡山間はJR快速マリンライナーで一時間に短縮されて、四国方面だけでなく、京阪神からも参加してくれています。
 また、機関紙は『岡山玉翠会だより』として植田敬(昭和22年卒業)先輩に担当いただき年2回発行しています。

 昭和56年からは、会長に藤井康宏先輩(昭和26年卒業)が就任して、昭和63年まで本会発展のためにご尽力いただき、第10回総会を機会に、岡大医学部第一内科教授の辻 孝夫先生にバトンタッチされました。

 昭和28年卒業  岡山玉翠会事務局長  入船健一