関西玉翠会会長
樋口 順一(昭和34年卒)

東京王翠会第30回総会の開催を心からお慶び申しあげます。
平素は、関西王翠会の活動に対して温かいご支援を賜り、厚くお礼申しあげます。

東京玉翠会総会は30回をお迎えになりました。
関西玉翠会は、昭和38年の母校創立70周年の時に玉翠会京阪神支部が発足しました。平成6年に関西玉翠会に名称変更して本年で19回、通算49回目の総会ということになります。

毎年の総会の開催には、幹事担当年次の皆さんの並々ならぬ努力と、これを支援する会員の母校に寄せる熱い思いが力になっています。

熱い思いと云えば香川県成立の歴史をみますと、律令の時代から讃岐の国が存在していましたから、香川県の設置は当然のことと思われます。
ところが、現在の香川県が設置されたのは、全国でも最後の明治21年(1888)です。

明治4年(1871)の廃藩置県で、多度津藩は廃止し、丸亀藩に編入、丸亀藩は丸亀県に、高松藩は高松県に、この両県をあわせ香川県を設置しています。
しかし、明治6年(1873)香川県は廃止され名東県(阿波・淡路)に編入されてしまいます。四国は、愛媛、高知、名東各県の3県となります。
名東県に統合された香川県は反対運動を起こし、明治8年(1875)に名東県から分離し再び香川県が設置されます。その1年後また香川県は廃止され今度は、愛媛県に編入、名東県も高知県に編入されてしまいます。
四国は、愛媛県と高知県の2県となります。名東県には淡路島が含まれていましたが、高知県編入時に淡路島は兵庫県に編入されます。

このように讃岐国は、県の離合が目まぐるしく、「殖産、工業、教育、商業に大なる影響あり」として、讃予分離の分県運動が高揚します。明治21年(1888)に至り、愛媛県から讃岐国を割き念願の現在の香川県が誕生します。
当時の讃岐の人々の熱い思いがあったればこそ今の香川県が在るのだと思います。

関西王翠会の総会は、本年の11月3日ラマダホテル大阪(元東洋ホテル)で16時から開催の予定です。来年の母校創立120周年を考慮しながら、幹事担当年次の昭和56年卒の皆さんが、開催内容の詳細を検討しています。

最後になりましたが、東京王翠会の益々のご発展と会員の皆様のご活躍を心から祈念申しあげます。