関西玉翠会会長
樋口 順一(昭和34年卒)


東京王翠会の皆様には、日頃何かとお世話になり誠に有難うございます。

私の居ります奈良県では、本年一年間「平城遷都1300年祭」が開催されています。
メイン会場となる平城宮跡には遷都1300年を記念して平城宮の中心建物である大極殿が復原されています。平城宮跡には既に宮殿の中央門である朱雀門が復原されています。
門に関しては、興福寺、薬師寺などの南大門を参考に当時の朱雀門の構造や形式を比較的正確に復原することが可能だったそうです。しかし、大極殿の建物は二重か一重か、屋根はどうであったかなど復原は非常に難しかったと聞いております。

奈良では歴史的建築物の復原と創建以来今日まで現存している建物の大修理が話題になります。大修理とは何百年かに一度根本的な解体修理を行い、その建物の寿命をのばすために行われるものです。

法隆寺の昭和大修理に携わられた法隆寺の宮大工棟梁西岡常一さんは、「堂塔の木組みは寸法で組まず、木クセで組め、そして木のクセを知るには土を知れ、土地によって木の性質が決まってくる。日裏で育った木、日向で育った木、肥えた土地で育った木、非常にきびしい土地で風雪に耐えた木など、一本一本が個性を持っている。強い木は強く、弱い木は弱いなりに木の質を見抜き、それぞれを使える所に使う。昔の人はそれをよく考えている。今のように規格に合わせ同じ様に揃えてしまうときれいかも知れないが、木に無理を強いるため建物は永い年月には耐えられない。
法隆寺(西院の金堂、五重塔、中門および回廊の約三分の二は飛鳥時代の建築様式)の回廊を見ても連子格子の木は一本ずつ全部違う。太いものもあれば細いのもある。四角のものも菱形もある。しかし、全体のバランスはうまく取れている。
飛鳥時代の人達がどう取り組んだか、人間の魂と自然を見事に合作させたものが法隆寺だということを知って見に来てもらいたい。」と語っておられます。

西岡常一さんは斑鳩三塔(法隆寺、法輪寺、法起寺)の一つ、法輪寺の三重塔や薬師寺西塔の再建他、数多くの古建築(国宝、重文)の解体修理にかかわって来られ、当代最後の匠宮大工棟梁と言われた方です。

歴史は現在と過去との対話だと言います。過去に開する知識が人の精神を通じて伝えられてくるものだと言うことがよく解るお話だと思い、紹介させていただきました。