麻雀普及に貢献した菊池寛

昨年(H17)11月、九十九里浜に面して建つ麻雀博物館を訪ねて、同博物館の会報にエッセイを書く仕事を頼まれました。

博物館の1階正面に飾られた200号の油絵「国士無双」には10人の麻雀文化人が描かれており、卓を囲んでいる4人は、全員がイーピンであがれる役満の手。
ツモ上がりしているのは、私たちの大先輩の菊池寛!

気分をよくして2階に上がると、そこにも菊池寛にまつわるものが。
昭和初期、麻雀が爆発的にブームとなり、その火付け役が、菊池寛が社長をしていた文藝春秋社。同社が製造販売した国産第一号牌である「文藝春秋牌」や愛雀家であった菊池寛が愛用した「菊池寛牌」も展示されていました。

そのことに感動して、エツセイに菊池寛が母校の先輩であることを書きました。
それから約半年後、神田会のMLで「菊池寛杯争奪麻雀愛好会」の立ち上げを知り、お手伝いをさせていただくことになりました。

ゴルフ前の団らんから生まれた「菊池寛杯」

某氏によると、「菊池寛杯」の話が出たのは昨年11月(2005年)。4名で泊まりがけゴルフに行き、宿で麻雀をやったが物足りず、仲間を増やして麻雀大会をやろうという話になったとか。

2006年6月9日現在、準備会を5回開催。
準備会と称して遊んでいるだけという意見もあるようですが(笑)、大会ルールなどを検討し、ほぼ決まりつつあります。

「菊池寛杯」のカップは、昭和33年卒の井上榮先輩にお願いする予定。
6月上旬には、麻雀博物館に行って、麻雀の歴史や文化を学んだ後、麻雀必勝御守、麻雀ストラップなどの賞品を購入しました。

第1回の開催は秋を予定。
場所は、新橋の「香川・愛媛せとうち旬彩館」の近くにある雀荘を予定しています。

菊池寛は麻雀で負けると口をきかんようになるので「くちきかん」と言われていたそうですが、私たちは、菊池寛先輩を偲びながら麻雀の腕を競った後は、同窓生の親睦を深めましょう。
参加御希望の方は、ご連絡下さい。一緒に楽しみましよう!(文/庄村敦子)

連絡先
神崎俊(昭和52年卒)
土田充(昭和53年卒)
庄村敦子(昭和54年卒)